今或るものと、無いもの
その、笑顔をずっと近くで見たかった。
近くにいることができたなら、それだけで心が安らげるから、眺めているだけだけで充分幸せになれるの……。
そう言って友達と呼んでいた子は、何の前触れもなく消えた。
なのに探しに行くことも、消えた理由も、『聞いてはいけないこと』だった。
それが、月の掟。精霊界での絶対の命令であり、背くことは例外なく許されない。
生まれたときから従ってきた教えに反抗する術はなかった。
だけど、そう簡単にこの暴れる寸前の心は収まりきれそうにも、ない。
この世界を縛り付けるモノなんて必要ないと思ったとき、あたしは既にこの世界にはいなかった。
☆ ★ ☆
「それで、威勢良く飛び出してきたのはいいものの、な訳なんだ?」
「悪かったわね。そうよ、どうせあたしはいっつも迷惑かけてばっかりよ、ユリア」
「……自覚があるようで、いいけどね」
半人前であるあたしには、充分な力は備わっていなかった。
だからいなくなってしまった友達を探し出すこともできず、しかしそのまま前の生活に戻ることもできず、以前古い縁で知り合ったユリアの元へ逃げ込むしか方法は思いつかなかった。
ユリアは精霊の身でありながら、人間に化けて生活を営んでいる、一風変わったひと。
職業はまじない師っていうのをしているらしいんだけど……そのせいか、いつも怪しい衣装を身に纏っている。
妙にきらきら光るアクセサリと真っ黒なドレス。
仕事部屋に使っているらしい場所は薄暗い暗室だし、どこからか薄い煙が部屋を漂っているため、視界はあまりよろしくない。
本人曰く、妖艶の美女っていう雰囲気が大事だとか。
そういうものなのかなぁ、人間の世界って。
「それで?アンジェはこれからここで働く気があるの?」
「……。それしかない、よね……」
地を這いつくような声で応えると、突如背中を遠慮なく叩かれた。
「って、痛いし!!何するの!!」
勢いよく振り返ると、ユリアは真顔のまま言い放つ。
「明日は新月よ。仮にも精霊の卵なら、せめて立派な精霊になりなさいな」
「……はぁ?意味、分からないんですけど?ねぇユリア、今更あたしがのこのこ戻れるわけないでしょ?」
そう言い返すと、なんとも長ぁい溜息をつかれた。
あたしはユリアの意味することが検討つかず、ただ首を傾げるしかなかった。
「いい?ここにいたら、本来発揮できる力は極々限られているわ。それはここが結界の外だから。だけど、月が姿を隠すそのときにあたしたちは力を回復できる。だから、そのときがチャンスなの。友達の元へ行きたい、と願うのよ」
魔法めいた言葉のようにしか聞こえなかった。
どこか現実味が帯びていないような気さえしてくる。
けれど、ユリアの囁きはまだ続いた。
「探すのでしょう?もう一人の、大事な子を。それができるのなら、探し出してあげなさい」
「…………っ」
「二人でいれば孤独じゃなくなる。そうしたら、寂しくなくなるわ」
確かに、そうだろうと思う。
あたしたちはずっと生まれたときから、一緒で。
離れたことなんて、それこそ一度もなかった。
ずっとずっと、これからも二人でいることを信じて疑わずに過ごしてきたのだから。
「本当にできるのかな。半人前の、あたしに」
「できるわよ。月の力が一番影響力を与えるのは、新月を見ることができる場所なの。だから、願えさえすれば大きな力を得ることだってできるの。きっと大丈夫よ」
その言葉にあたしはそっと頷いた。
それからまだ仕事が残っているから先に帰ってて、というユリアの言葉に従い、あたしは裏口から空へと翔けた。
もう日は沈み、夜の帳が下りている時間帯。
今日は外を出歩く者も殆どおらず、あたしは空を仰ぎ見た。
真っ黒の闇に覆い隠された月はその存在をひっそり隠していた。
いつもは丸くて大きい月しか見ていなかったから、何だかとても不思議。
月があるから、あたしたち月の精霊は生き永らえることができる。
そのエネルギーを糧として。
だけど、ここにいてはそのエネルギーも補給できない。
……ユリアの不思議なまじないを使えば、それに似せたものは作れるのかもしれないけど。
それでもやっぱり、直に力を蓄える方がより効果的だというのには変わらない。
だけど、思うことはひとつ。
本当に、良かったのだろうか。
今まで生まれ育った場所を捨てて。
結局あたしはずっと思案に暮れて、木の枝に身を委ねながら翌日の日が沈むまでぼんやりと空を眺めていた。
「準備は、できたかしら?」
鈴の音とともに、聞こえたのは澄んだ声。
意識を戻して慌てて眼下を見やると、黒装束に身を包んだユリアの姿があった。
あたしは風の力を借りて大木から地上へ着地し、ユリアに視線を合わせる。
「……それは心の準備ってこと?」
「まあ、そうね」
「……できてるわ」
「じゃあ早速だけど、始めましょう。アンジェ、その中心に立って祈りなさい」
指で示されたのは、古い魔法陣。
あたしは無言でその中心へと足を向けた。
白い光が円陣から徐々に噴出す。
その光景を一瞥し、あたしは指定された場所で立ち止まり、片手を空へと突き出す。
明るく澄み切った夜空のどこかにあるべき筈の月へと願いを込めて、あたしは全神経を集中させる。
だが、空の向こうにある力が応えてくれるより前に、突如浮き上がる光の螺旋が体に巻きついていく。
……なんなの?!
口だけを動かすことができても、なぜか声が出てこない。
必死にもがくが、抵抗すればするほど縛りは一層強まっていく。
……こうして、あたしは死んでいくの?
漠然と思いつくのは「失敗」という単語。
けれど為す術はなく、光の縛りは体に強く絡みつく。
ああ、もうダメなのかも。
そう思って諦めようとしていたとき、視界に一輪の白い花が舞った。
その花から匂う、懐かしいような不思議な甘い匂い。
けれどそれは残影となり、その代わりに見覚えある人物がそこに浮いていた。
「ライラ?!なっ、どうしてここにいるの?!」
彼は、優秀な精霊友達の一人で。
当然、ここにいるわけのない存在だっていうのに。
……本当に、どうして……。
ライラを凝視していると、いきなり罵倒が飛んできた。
「馬鹿アンジェ!そいつはな、俺らの監視役なんだよ。それ相応の報酬を貰っているから、こうしてここで生きていくことができているだけで。今回のだって、お前さえも消滅させようとする罠だ」
「何言ってるの?!」
「いいか、ミルドレッドはもういない。死んだんだ。いい加減、その事実を受け止めろ」
あたしは頭が真っ白になって、やがて頭で考えるよりも早く口が叫んでいた。
「…………嘘!!!」
「嘘じゃない。ある日突然、いなくなるヤツもいるんだよ。前触れなんてなく、消滅してしまう。それは自然な流れなんだ。力が逆流するのを防ぐための犠牲とも言われているが、少なくとも俺たちはミルドレッドに生かされているんだ。だからそのまま月じゃない力を手に入れてアンジェの身が滅びたら、ミルドレッドは決して喜ばない」
「…………」
本当は、分かっていた。
ユリアの言葉を信じてはいけないってこと。
でも、それしかない場合はあるものに縋るしかない、と思っていた。
だけど結果としてミルドレッドの悲しむことになっていた、と言われれば反論することもできない。
本当にバカだわ、あたし。
ようやく気付かされるなんて、もう失ったものは取り戻せないっていうのに。
軽く放心状態になっていると、ふと何か違和感を感じた。
あたしを拘束していた光の縛りが緩んだと思ったときには、ライラに抱き上げられていた。
「え、あ、ちょっと?!」
「帰るんだよ。俺たちの故郷へ。……大丈夫、俺が安全な場所を知ってる」
その言葉はどんな言葉よりも、あたしを安心させた。
「……分かった。ありがとう、ライラ」
「俺はお前がいないと生きていけないからな」
「……なっ、ななな?!」
何を言い返していいか咄嗟に判断つかずにうろたえていると、頭のてっぺんに口付けが降ってきた。
顔が火照り、あたしは恥ずかしさのあまり自分の顔をライラの胸にうずめた。
「じゃあ、そういう訳でアンジェは返してもらうからな。悪く思うなよ」
その声とともに、あたしたちはその地から姿を消していた。
「月の加護があらんことを。……親愛なるアンジェ」
そう呟いた声は、最早届いていなかった。
FIN.
