モクジ

● おもいで --- episode 1  鞄 ●

(あ……)
 大学へ向かう坂道。五月にしては強烈な陽射しのもと。あたしはまた、あの鞄を見つけてしまった。
 G.T.HAWKINSのリュックサック。あたしの前を歩く後姿。
(違うに決まってるじゃない)
 あたしは小さくため息をついた。
 あの鞄を追いかけていたのは……中学生の頃なのだ。

 クラスメイトの男の子だった。
 女子の間での人気も上々で、背が高く優しい瞳を持っていた。
 しゃべったことなんて……数えるほどしかない。あたしは引っ込み思案だったから。彼は対照的で、明るく輝いていた。
 彼と話した言葉なら、たった一言の「おはよう」でもそれは宝石だった。
 ちょっとした一瞬でも、彼のやさしい瞳を捕らえられたらその日は幸せだった。
 そんな、平和な毎日だった。

 彼とは高校が離れ、今では会うこともない。
 高校時代に好きな人ができなかったわけじゃない。つきあった人もいた。
 だけど、なぜか……あの鞄を背負った後姿を、あたしは今でも求め続けている。

「おー、おはよう!」
 響いた明るい声は、その人から発せられたものだった。適度に低く、心地よく身体を巡る音。
 彼の隣に男の子が並び、連れだって歩いてゆく。
「ツネヒト、バイトの面接どうなったんだ?」
「あーあれ? 今日電話くるんだよなぁ。受かってたらいいんだけどなー」
「でも掛け持ちだろ? できんのかよ?」
「一人暮らしは金が要るの! 仕送りだけじゃやってけねぇよ。オレ、十八年間料理なんてしたことないから自炊できなくてさぁ……」
 名前はツネヒト、バイトは掛け持ち希望。あたしと同じ年で料理ができない。
 あたしは無意識に、その情報を頭の中に閉まっていた。
(……何やってるんだろ……)
 ただ、鞄が同じだけ。たったそれだけなのに……。
「ツネヒト、あれ貸してくれよ。昨日の、二限のプリント」
「あぁ、いいよ」
 彼はリュックとは別の手さげ鞄の中をあさりはじめた。しかしなかなか見つからないらしく、鞄の底を片手で持ち上げて中をのぞき込む。
 ――と、ぐらりと鞄が揺らいだ。
「うわっ」
 彼のあげた奇声に、あたしは思わずビクッとしてしまった。
「あーあ……」
 彼はひとりぼやいて、地面に散乱した教科書やファイルなどを拾っている。
 あたしの近くにも散らばっていたから、拾い上げて砂をはらった。
「あ、ありがとう」
 その人があたしの前に立った。
 彼とはまったく違う人だったけれど……見下ろす瞳は、おなじやさしさをたたえていた。
モクジ


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