月の舟、星の林

モドル
 いいところに連れて行ってやる、とひろしは言って、車を発進させた。
 夏祭りの帰り。決して華麗とは言い難い地元の花火大会は、ぽつぽつと単発で花火を咲かせて時間を稼ぎつつ三十分ほどで終了した。それでもやっぱり、夏の風物詩を楽しんで気分は良かった。枝垂れる花火の真下に立ったらどんな気持ちがするだろうと言ったわたしの言葉に、宙は極めて現実的に「真下から見たら形が崩れてるんじゃないか?」と答えてちょっぴり夢を壊されたりはしたけれど。
「いいところって?」
「内緒。すぐわかるよ」
 宙は楽しそうに笑いながら車のハンドルを操作している。わたしは、浴衣の帯のせいで背もたれにもたれられずにつらい体勢を、座りなおすことで少し整えた 。
 飽きるほど見覚えのある道路を、車は快適に走ってゆく。カーステレオからは、宙が贔屓にしている洋楽が重厚なリズムを刻んで流れてくる。わたしはまった く洋楽の知識はないけれど、何度も聴くうちに何となく曲を覚えてしまった。
 そして車は、予想もしないところで左へ曲がるウインカーを出した。
「えっ、そっちって……」
「ん、目的地」
 さらりと言って、宙は細い道を入り、適当なところに車を停めた。
「はい、到着」
「到着って……小学校じゃない、ここ」
 そう、宙の言ういいところとは、わたしたち二人が卒業した小学校だったのだ 。夜空の下、白壁の校舎はぼんやり浮き上がるかのように目に映る。
「懐かしいだろ。今日は、小夜さよの夢を叶えてやろうと思ってさ」
 宙は後部座席の下あたりから、コンビニのビニール袋を引っ張り出してわたしに渡す。中を見ると、ロケット花火と線香花火の袋が二つずつ入っていた。
「花火?」
「そう。おまえ、いつだったか恋人と二人で線香花火するのが憧れって言ってただろ?」
 そう言われて思い出した。確かに言ったような気がする。けれど、その時宙は、「小夜には乙女チックすぎて似合わねーよ」なんて爆笑していたくせに。
 だけど、そんな些細なことを覚えていてくれて、しかも実行してくれるその気持ちが嬉しかったので何も言わずにおいた。
「線香花火はいいとして……このロケット花火は何?」
「それは俺の趣味。ロケット花火をしなきゃ、花火じゃないだろ」
「……そうでもないと思うけど」
 どうして男の子は、ロケット花火が好きなんだろう。小学校の頃も確か、男の子はこぞってロケット花火を飛ばしていた気がする。
「ほら、行くぞ」
 宙は車のドアを開け、身体を半分外に出してわたしを急かす。わたしは、足に纏わりつく浴衣の裾に気をつけながら、車を降りた。
 宙はすぐ傍で待ってくれていて、無造作にわたしの手を掴んで歩きはじめる。手を繋ぐ、なんて何度繰り返したかわからない行為。けれど今日は何だか特別に思えた。
 久しぶりに足を踏み入れたグラウンドは、こんなに狭かったろうかと思わせるほどの大きさだった。嫌でも、小学校の頃とは視点が変わってしまったことを思い知らされる。
「お、ちょうどいいところが」
 宙が目をつけたのは、水飲み場のすぐ横にある五段ほどの階段だった。水場も近いしちょうど座れるからだろう。わたしたちはそこへ腰かけ、どちらからともなくそっと繋いでいた手を離した。
「ほら、思う存分やれ」
 そう言って宙は線香花火の袋を二つ、ずいとわたしに差し出した。よく見ると 、一袋には二十本ほどの線香花火の束が二つ入っていて、二袋もしたらやりすぎではないかと思われた。
「一袋で充分だよ。ほら、こんなに入ってる」
 わたしが笑いながら袋を掲げてみせると、宙もちょっと笑った。
「買う時も、一袋でいいかと思ったんだけどな。まあ一応、多めに……」
 もらっておけと言われたので、わたしは遠慮なく余った一袋はもらうことにし た。もう一袋を開封し、線香花火を束ねている細い紙テープを縦に裂く。ばらばらとこぼれてしまいそうになるが、何とか膝の上でおさめることができた。
「はい、宙の分ね」
「……やっぱり俺もやるのか……」
「当たり前でしょ。わたしの夢は、“恋人と二人で”線香花火をすることなんだ から」
 わざと“恋人と二人で”を強調して言ってやる。宙はちょっと頭を掻いたが、観念したようにわたしの差し出す線香花火を受け取った。
「火、つけてやる」
 宙はポケットからライターを取り出し、火を点ける。わたしはそっと、その火の中に線香花火の先を浸した。ぼっ、と音がして、まあるい玉が出来上がった。 宙も自分で、同じように火を点ける。
 ぱちっ、ぱちっと音をたて、隣り合う二つの火の玉から稲妻のような火花が散る。どうしてこんな現象が起こるんだろう、不思議。
 そう思っていると、ゆるい風が吹いてきて、ぽとりぽとりとあっけなく火の玉は地面に落ちてしまった。
「ああっ! 落ちたぁー」
「何か悔しいな、最後までできないと」
 そう言い合いながら、二本めの線香花火に火を点ける。けれど微風は止まず、同じ結果になってしまった。それを繰り返していたら、あっという間に一袋分の線香花火を使い果たしてしまった。
「あーあ、風のせいで風情も何もないよー」
「今度は風のない日か、風が避けられる場所でやらなきゃな」
 わたしがちょっとふてくされながら線香花火の燃えかすを集めている横で、宙はうきうきとした様子でロケット花火の袋を開封しはじめていた。
「よっし! ちょっと飛ばしてくる。見てろよ、小夜」
 あんなに浮かれちゃって。
 宙とは長い付き合いで、大学生になった今はだいぶん落ち着いているように感じていたが、子どもっぽい面を垣間見てわたしはくすりと笑みを漏らした。
 少し離れたところにある砂場を発射台にするらしい。宙は点火し終えると、駆け足でこちらへ戻ってきた。
 シューッと勢い良く発射したロケット花火は、光の軌跡を描いて夜空へ飛び立った。最後は、パチパチと火花を散らして消えてゆく。
「すごーい、意外に綺麗だね」
「だろ? 次は一気に飛ばしてやるよ」
 ロケット花火を数本掴んで、宙はまた砂場の方へ駆けてゆく。
 わたしは膝を抱えながら、首を上げて空を見上げた。
 まわりに電灯がないので、いつもより多く星が瞬いているように見えた。夏の大三角形を辿ってみる。と、その近くに細い三日月が出ているのに気がついた。それはまるで舟のように、ぽっかりと夜空に浮かんでいる。
「小夜! 行くぞっ」
 宙の声と共に、打ち上げられる三本の光の矢。月の舟へ向かって真っ直ぐに伸びてゆく。
 わたしは、月の舟がゆらりゆらりと漕ぎ出されていくのを見た。
「宙……」
 いつの間にか隣に戻ってきていた宙の腕を、ぎゅっと掴む。
「ん?」
「……何でもない」
 そっと宙の二の腕にもたせかけたわたしの頭を、宙はやさしく撫でてくれた。
 ゆらり、ゆらり。
 きっとわたしたちはこれからも、あの月の舟のようにゆったりと進んでゆくのだろう。
 煌く星の林の中へと。
モドル

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