― 関西弁シリーズ ―

TOP

  レモンティーは命の水  

 きゃああっ! という女子の甲高い嬌声に、俺と啓太は思わず顔をしかめた。
 今までは、あーだこーだとサボりがちな男子に文句をつけつつ体育祭や文化祭の準備に勤しんでいたのに、アイドル扱いの上級生が通りかかるとこの騒ぎ。窓際に走りよって「先輩ー!」などと声をかけて浮かれている。何てお気楽な、と俺は思う。
「あーもー、あれ何とかならへんかな。イライラするわ」
 見た目爽やかスポーツマンな啓太は、普段も明るいことが多いのだけれど、よほどああいう女子の態度は嫌いらしい。嫌悪感を露わにしている。
「ま、変に騒がれる先輩らもいい迷惑やろ」
「……いーや、絶対それを楽しんどる奴もいると思う」
 啓太とは高校に入って仲良くなったが、とても喜怒哀楽が激しく直情的だ。俺とは大よそ違う性格だと思われるのに、何だか馬が合っている。
 啓太の不機嫌の理由に思い当たり、俺は軽く肩をすくめた。
 学園祭に向けた取り組みが始まって以来、啓太はいつもに増してハイテンションになった。あまり乗り気でなさそうだった体育祭準備委員の仕事にも驚くほど精を出し、特に上級生のクラスへ頻繁に足を運んでいた。
 その理由は、友達に隠し事はしない主義だという啓太の口から聞かされている。
 同じ団の体育祭準備委員の二年生、三原綾先輩に恋をしたというのである。
 もちろん同じ団だから、俺も顔を見たことはある。綺麗というよりは可愛い部類の、けれど芯の強さを感じさせるような人だった。けれど彼女には特に仲の良い男子生徒がいて、それが啓太の癪に障っているのだけれど……。
「あっ、浅野先輩っ!」
「えーっ、どこどこっ!?」
 ぴくり、と啓太の口角が引きつるように動いたのを、俺は見逃さなかった。ああ、何てタイミングの悪い……。
 女子たちが騒ぐ窓際を、数人の上級生が通り過ぎてゆく。その中で一際目を引くのが、啓太の憎き恋敵、浅野有樹先輩。(すくなくとも啓太にとっては、だ。)
 さっぱりと刈られた短髪に、きりりと吊り上った眉と瞳。いささかきつい印象もあるが、男子の俺から見ても整った顔立ちをしていると思うので、女子が騒ぐ気持ちもわからないではない。それに何と言っても、視線を惹きつけるオーラのようなものを感じるのだ。ライバル視している啓太にとってそんなオーラはイライラの源でしかないようで、浅野先輩を目にするたびピリピリと神経を尖らせている。
「カッコイイー! 五組羨ましすぎ、浅野先輩の団やしー」
「あ、でも彼女いるとかいう噂聞いたでー?」
「違うらしいで、それ。やけど、いつも一緒に帰ってる女の人がいるんやってー」
「えぇーっ」
 ぺちゃくちゃとおしゃべりに花を咲かせながら、女子たちはいそいそと準備に戻りはじめる。あー、啓太は爆発寸前かも。
「すいません、体育祭準備委員の森くん、いますか?」
 その時、正に絶好のタイミングで一年三組を訪れたのがあの三原先輩だった。三原先輩の声を聞いた啓太はがばりと顔を上げ、ドアまですっ飛んで行った。
「忙しいのにごめんねー。ちょっと確認したいんやけど……」
「いえっ、大丈夫っす! ちょうどすることなかったんで!」
 さっきまでの険悪オーラはどこへやら、今はまわりに天使でも飛び交っているんじゃないかと思うほどの輝き具合。
 俺はふーっと大きくため息を吐いた。まぁこれで、啓太のご機嫌はばっちり治るだろう。啓太の言うとおり、特にやることもないのでどこかでサボろうかと、教室を出かけたのだが……。
「どこ行くんかなぁ、貴紀ぃ」
 おどろおどろと恨めしそうな声に、俺は思わずびくりとする。振り返ると、不気味な笑顔を浮かべた姉さんがいる。
「まーさーか、サボろうなんて思ってへんやんねぇ?」
「………」
 ここのところ、姉さんもご機嫌斜めだ。俺と同様、行事ごとにはあまり積極的でなく、いかに楽をしようかと考えを巡らせているような人である。けれど今年は生憎俺と同じ団になってしまい、珍しい苗字から姉弟だということが露見して、ちょうど良いと一年への連絡係という面倒な役割を押し付けられたとどれだけ家で愚痴っていたか……。
「あ、桃っ」
 ばたばたと騒がしく廊下を走ってくる女子生徒がいると思ったら、その生徒は立ち止まるやいなやがっしと姉さんの腕を掴んだ。
「聞いて! 購買酷いんよ! わたしが毎日欠かさずレモンティー、しかもリプトンの500mlパックを買ってるにも関わらず、今日はもう売り切れたって! これからまだまだ準備が続くっていうのに、わたしにレモンティーなしでやっていけなんて拷問やわっ!」
「……霜子、あんた放っといたら血液レモンティーになるんちゃう?」
 よく見ないでもそのちょっとズレた発言で、彼女が姉さんの親友とも呼べる友人、香村霜子さんだと知れた。よく俺の家にも遊びに来たりしているし、ほぼ姉さんと行動を共にしているのでお互いに面識もあるし話したこともある。
 そういえば。
 啓太に「貴紀は気になる人とかいるん?」と訊かれた時に真っ先に思い浮かんだのが彼女だったな。と言っても啓太の期待するような対象ではなくて、ただ単に不可思議な人なので気になるだけなのだけれど。
「貴紀くん!」
 そんなことを考えていると、唐突に霜子さんがぐいっと俺のシャツの袖を掴んできた。
「薄情者な姉の代わりに、レモンティー買いに行くのについて来てくれへん? レモンティーがないと、アンパンマンみたいに力出なくなるからー」
 どんな喩えだ、と内心ツッコミつつ、サボれる格好の理由を得たので俺は霜子さんの申し出に乗ってみた。
「行ったるよ。姉さんの尻拭いは弟の役目やしなあ」
「何が尻拭いよ、サボりたいだけやろ!」
 軽く小突きにくる姉さんの手をかいくぐると、霜子さんは俺の袖を掴んだままぐいぐいと前へ引いた。
「はよ行こ、貴紀くん」
 どうやら本気でレモンティーがないとやっていけないらしい霜子さんは、買い物に行きたくてうずうずしている。その無邪気さというか、子供っぽさに俺は少し苦笑した。
「じゃ、後はよろしくね、桃!」
 呆れ顔の姉さんを置いて、俺と霜子さんは昇降口へ向かう。どちらからともなく顔を見合わせると、微笑がこみ上げてきた。
 やっぱり霜子さんと居ると退屈しない。もっと霜子さんのことを知りたいかもしれない、と密かに思った。

(2007.7.5 一部加筆)
TOP

「読んだよ!」の記念に是非。メッセージも送れます。

Copyright (c) 2004 Aoi Tsukishiro All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-