― 関西弁シリーズ ―

モクジ

  今日もたこ焼き  

「有樹、呼んでんでー」
 教室の前方左隅にある石油ストーブの前に友人たちとたむろしていた有樹は、顔を上げてその声の方を振り返った。
 現在、昼休み。だいたいの生徒が昼食を食べ終え、団欒に興じている時間だ。
 今日はバレンタイン・デー。だからなのか、いつもより廊下が騒がしく思える。
 前のドアの傍にクラスメイトの男子が立っていて、先ほどの声の主は彼と思われた。そして半開きのドアからは、他クラスの女子が数名、ちらちらとこちらをうかがっているのが見えた。
「うーわー、有樹お前やるなぁ!」
「どうせ義理やろ、義理!」
「行って来ーい!」
 なかば友人たちに押し出されるようにして、有樹はドアの方へ歩いていった。その時、ちらりと右側へ視線をやった。そちらには綾がいて、友人二人と机を引っつけあって話をしている。彼女はどうやら、大声でなされていた今のやりとりに興味を示していないようだった。

 有樹と綾は、二学期になってから急速に仲良くなった。そのきっかけが「たこ焼き」だ。
 高校から駅までの間にある大手スーパーマーケットの一階にたこ焼き屋があるのだが、示し合わせたわけでもないのに何度もその前で遭遇した。クラスメイトなのでもちろん目を引く。学校ではほとんど話したことはなかったが、有樹が話しかけ、たこ焼き好きという共通点で意気投合したのだ。
 それ以来、二日に一度は二人でたこ焼きを食べに行くのが習慣になっている。

 だから有樹にとって綾は、他のクラスメイトとは一線を画す存在ではある。
 バレンタイン・デー。
 日本ではすっかり、女性から男性へチョコレートを送るというイベントに定着してしまっているこの日に、少し期待を寄せてしまうのは男の性というものである。
 そんな綾を後目に、有樹は前のドアから出る。廊下にいたのは、女子生徒が三人。チョコレートらしき包みを持っている女子は、正直言うと顔は見たことがあるかもしれないが名前などまったく知らない、ほとんど関わりがないと言っても良い生徒だった。ただ、付き添ってきた女子の片方は、同じ小学校、中学校を卒業した生徒だ。
「浅野、悪いんやけど、ちょっと渡り廊下まで出てくれる?」
 声を発したのは、その同じ地元の女子だった。
 廊下で堂々と渡す度胸はないらしい。そんな様子から、これは義理チョコではないんだろうな……という予感を薄々感じた。だいたい、ほとんど面識がない女子から義理チョコを渡されるというシチュエーションはまずないだろう。
 体育館への渡り廊下へ出ると、まだ冷たい微風が頬に吹きつけてきた。包みを持った女子の、細そうな髪がふわりとそよいだ。
「わたし、二組の大井真佐子おおいまさこと言います。……たぶん……知らへんと思うんですけど……」
 初対面だからか、真佐子は丁寧語を使って自己紹介をした。妙に馴れ馴れしいよりは、この方が好感は持てる。
「うん……悪いけど、知らんかった」
 他に答えようがないので、有樹は率直に言う。真佐子はそうですよね、と少し寂しげに笑った。
「つきあってほしいとか……言うつもりはないんです。ただ、わたしの気持ちとして、受け取ってもらえませんか?」
 そう言って、真佐子は淡いピンク色の包装紙に包まれた四角い包みを差し出した。
「気持ちは嬉しいから……。ありがとう」
 有樹がひょいと包みを受け取ると、真佐子はほっと表情を緩めた。
「あ、あの……答えたくなかったら、いいんですけど……」
 真佐子は少し躊躇う様子を見せたが、きっぱりとこう訊いてきた。
「浅野くん……綾ちゃんとつきあってたり、する……?」
 ドキリとした。まさか、ここで綾の名前が出てくるとは思わなかったのだ。
 綾ちゃん、と親しげに呼んでいるところから考えて、綾と同じ地元の出身なのだろう。さて、どう答えたものか。
 正直に“少し仲の良いクラスメイト”と答えれば済む話なのだが……何故か、有樹は躊躇ってしまった。
「いや……あー……」
 言いよどんだ有樹に、真佐子はくすっと笑った。先ほどとは違い、楽しそうな、くすぐったそうな笑みだった。
「とにかく、受け取ってくれてありがとう」
「あぁ……」
 真佐子は晴れ晴れとした表情で、自らの問いかけの答えは聞かぬまま校舎へと戻っていく。
 有樹はちょっと複雑な気持ちで真佐子からの包みを見てから、その後に続いた。


「有樹!」
 放課後、綾は帰ろうとしていた有樹に昇降口で追いついた。有樹はちょうど、靴を履き終えたところだった。
「綾、いたんか。もう帰ったかと思ってたわ、教室にいーひんかったし」
「四組に行ってたんよ」
 綾は少し急いで靴を履き替え、先に歩き出していた有樹の隣に並んで歩き出す。
 今日、有樹はいつもの通学用カバンの他に紙袋を一つ提げている。その中身がチョコレートであることはわかっている。昼休みにも呼び出されていたし、ホームルームの前後にもいくつか渡されていたようだし。
 めんどくさそうにぼてぼてと歩く有樹の横顔を、改めて眺めてみる。まなじりが吊り気味で、中肉中背だが肩幅が広いために一見厳ついイメージだが、ひとつひとつのパーツは整っている。女子にそこそこ人気があるのも頷ける。瞳の光は、性格の真っ直ぐさを体現して綺麗で鋭い。
「……綾、今日はたこ焼き食ってく?」
「え、えっ?」
 不意に有樹が振り向いたので、綾はびくっと肩を震わせた。意味もなく、顔にかぁっと熱が上がってしまう。
「たこ焼き。食って帰るか、って訊いたんやけど」
 有樹は問いを聞き逃したと思ったらしく、律儀に訊き直した。
「あ、今日はな、いいもの用意してるねん」
 綾はカバンの中から、少しへこんでしまっている白い箱を取り出した。
「見てこれ、たこ焼きシュークリーム!」
「はぁ? たこ焼きシュークリーム?」
 有樹は思いっきり眉をしかめつつ、綾の差し出した箱を手に取った。
「めっちゃ気になんねんけど」
「わたしもまだ中見てないねん、開けてみる?」
 二人はいつもどおり、たこ焼き屋のあるフードコートの一角に落ち着いた。違うのは、目の前にあるのがたこ焼きではなく“たこ焼きシュークリーム”であること。
 箱を開いたのは有樹だった。綾はその向かい側で、興味深そうに覗き込んでいる。
「うわ、ほんまにたこ焼きやん!」
「あ、でもシュークリームの匂い!」
 ご丁寧に添えられていた爪楊枝で一口大のシュークリームを刺し、口に運ぶ。
「おいしっ」
「なかなかいけるなぁ、これ」
 持ち運んでいたために冷えてはいなかったが、ほど良く甘いクリームがちょうど良い。
 嬉しそうにたこ焼きシュークリームを食べる有樹を見て、何故だか綾はほっとしていた。
「チョコちゃうけど、これバレンタインのプレゼントにしとくわ」
 そう言うと、有樹も屈託なく笑って言った。
「ありがたく頂戴しとくわ。“たこ焼き”をな」
 二人を繋げるものは「たこ焼き」。
 いつもどおりで、けれどちょっと特別な一日。

モクジ
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