今日、十二月三日。
俺にとってこの日は特別だ。
あいつと俺が、出逢った日だから。
俺、冬麻(とうま)。今十九歳で、あと一週間で二十歳になる。
高校も出てない俺だけど、今は小さい工場で働いている。
もう少し生活が安定したら、通信制の高校でも行こうかなと思っている。
小さいアパートを借りて、そこに住んでいる。思い出深い、あの公園の近くのアパートに。
窓を開けて、外を見てみた。
雪が、降っていた。
あの日と同じ、やさしくあたたかい……こなゆきが。
『冬の雪は美しいと思う
冬の寒さを和らげてくれる
冬の雪は儚いと思う
あっという間に溶けてしまう』
雪のことを詠んだ詩を、俺にくれた。
あいつらしい、細くて丸っこい文字だった。
もうちょっと長かったけど、なぜかこのフレーズだけが心に深く、刻み込まれている。
それはたぶん、あいつ自身がそんな雰囲気だったからじゃないかと思う。
きっとあいつは病院のベッドの上で、窓の外の雪を眺めながら、この詩を詠んだのだろう。
今になってそう思う。真実は判らない。
この先も、ずっと……。
俺があいつに出会ったのは、十六歳の誕生日の一週間前。
十二月三日。
そう。
ちょうど、今から四年前のことだった。
「うー寒っ。とうとう降ってきたか……」
俺は、空を仰いでぼやいた。
ゆるい風が、ぱらぱらと降ってくるこな雪を翻弄している。
くるくる、くるくる。風にあおられたこな雪は虚空に曲線を描いてゆく。
(ここ最近、どうも冷える思ったら……。でもまあ、吹雪いてないだけマシだな……)
そう思いながら、床に座り込んでしっかり毛布に包まった。そうしないと、冗談抜きで凍え死にそうだ。
ここは公園の中のあずまや。もとい、俺の家。五角形の床はコンクリートで、ベンチは三つ、テーブルが一つ。もちろん壁はないから雪や風はおかまいなしに吹き抜けてゆく。だけど木に囲まれているからまだ防げているほうなのだろう。
ここに移り住んできて四ヶ月。けっこうな住宅街が近くにあるけれど、公園にはあまり人は来ないし、あずまや自体公園の奥まった場所にあるので目につきにくく、特に苦情を言われたこともないしだいぶんまわりの地理にも詳しくなってきた。
と、そのとき。
すぐ近くでかしゅっ、と物音がした。俺は反射的に振り返っていた。
(え……!?)
俺は思わずぽかんとし、凝視した。
真っ白なコートに真っ白なロングフレアースカート。
傘もささずにいるために身体にうっすら雪の層ができている。
背中くらいまでありそうなまっすぐの髪が、風に弄ばれてくしゃくしゃだ。
目も鼻も口も耳もちょこんとしていて、頼りなく幼い。どうみても中学生くらいの女の子だ。
(おっ、女の子っ!?)
やっと脳が追いついて、俺の心臓がバタバタした。いろんな意味で。
女の子の方も、目をくるくると見開いて俺を見ている。まさかこんな夜、公園のあずまやに人がいるとは思ってもいなかったのだろう。
「あなた……は、誰……?」
たどたどしいけれど凛と澄んだ声。砕ける氷の音のような。
「ここに住んでるの……?」
言い終わったとたん、その女の子はくしゅんっとくしゃみをした。
「風邪ひくから。入れよ」
女の子の手をとると、まったく体温がなかった。ギクリとした。
一瞬、人間ではないような気がした。例えば 妖精。雪の妖精。
女の子は少しためらったようだが、俺が手を引くと素直に従ってきた。
俺は二枚重ねて使っていた毛布のうち、一枚で身体中の雪を払い、なるべく風の当たらない場所に座らせてもう一枚でしっかりとくるんでやった。そしてまだあたたかさの残っていたストレートティーの缶を持たせてやった。
「あなたの、名前は……?」
毛布の両端をしっかりと押さえながら、女の子が俺を見上げてきた。
俺は暴れる心臓を押さえて、女の子の横に座り込みながら言った。
「冬麻。……おまえは?」
「あたし?」
女の子はいくらか逡巡してから答えた。
「コナユキ」
「ふぅん……。変わった名前だな」
「トウマ、ってどう書くの?」
俺は空中に指で示した。
「冬に、麻」
「へぇ〜。かっこいいね、トウマって」
初めてコナユキが笑顔を浮かべた。やっぱり可愛らしかったけど、どこか幼すぎる印象があった。
「コナユキ、おまえ何歳?」
「十三歳。中一だよ。冬麻は? 高校生くらい?」
コナユキは俺のことを呼び捨てで呼んだが、悪い気はしなかった。むしろそれが自然だった。
「十五歳だけど、高校は行ってない。あぁ、来週には十六になるけど」
「中退したの?」
「いや。受験してないんだ」
俺はあることを不思議に思ってコナユキを見た。コナユキはじっと俺の視線に従っている。
「どうかしたの?」
コナユキは本気で訊いてきた。
「おまえ、何でこんなとこにいるのかって、訊かないんだな」
普通、こんなところにこんな夜に人がいるってことに疑問を感じると思うのだけど。
コナユキはきょとんと、何でもないように言った。
「冬麻は、ここに住んでるんでしょ?」
「……それが変だとは思わないわけ?」
「だって、冬麻は家出してきたんでしょ? そうしたら、こういうとこに住まないと家がないじゃない」
わかったようなわからないような理屈だ。どうやらコナユキは少し世間ズレしているらしい。
「ね、冬麻はどうして家出してきたの?」
俺はちょっとためらった。あんまり話したくないことだったからだ。でも……何故だろう。コナユキになら話してもいいような気がする。話したいと思う。
「俺、両親いないんだ。生きてるのか死んでるのかもわからねぇ。俺が四歳の時に蒸発したんだ。遠縁の家族に引き取ってもらったけど、邪魔者扱い。ずっとそんなだったくせに、俺が中卒で働くって言ったら高校は出ないと恥だとか何とか言って……。だから出てきた。捜索願も出してないだろ、たぶん」
息もつかずに吐き出してから、俺はコナユキを見た。コナユキは驚いたのか無意識に目を固まらせていた。だけど俺は、とてもすっきりした。快感だった。身体中の泥を洗い流したような。
「冬麻、あたしね……」
コナユキのか細い声に、俺はハッとした。現実に引き戻された。
「あたしの両親、離婚したの……。あたしのせいなの……。だからあたし、あたしさえいなくなればパパとママは元に戻ってくれると思った……」
ずきりと古傷が痛んだ。何しろ四歳の頃だったから、俺は両親のことをはっきりとは覚えていない。捨てられたという事実はとても悲しいけど、どうして捨てたのかとか詳しい理由までは知らない。コナユキはそれを知っている。しかも、その原因はコナユキ自身にあるらしいのだ。
「でも……心配してるだろ、親……」
俺にはいないけれど、コナユキにはまだ、片親であっても心配してくれる人がいるのだ。戻ったほうがいいに決まってる。
「いやっ! 帰らない!」
コナユキはぎゅうっと自分のひざを抱え込んでうつむいた。毛布をつかんでいる手が細かく震えている。
コナユキの様子から考えて、あまり遠くから来たわけじゃないだろうと思う。それなら、しばらくすれば親が迎えに来るだろう。ここにいるうちに、コナユキから帰りたいと言い出すかもしれないし。
「わかった。じゃあ、ここにいろよ」
コナユキは弾かれたように顔を上げた。それは雪のなかに咲いた大輪の花だった。「ありがと冬麻!」
言った瞬間、コナユキはぶるるっと身体を震えさせた。
「一枚じゃ寒いか?」
コナユキは困ったように「ちょっと……」と言葉を落とした。
俺は、たっぷりためらって 俺の毛布でコナユキを包んだ。
「冬麻……」
驚いたように一度見上げてきたコナユキだが、素直に身体を任せてきた。
中学一年生の女の子というのは、こんなにも細いのだろうか。毛布の上から感じるコナユキの感触は、あまりにも頼りなさすぎて、俺は心配になってしまった。
こんな幼い女の子が家出なんて、よっぽどの事情だったのだろう。きっと話しづらいだろうから訊かないけれど。
いつのまにかコナユキは、安心しきった寝顔で俺の腕の中にいた。
俺は日払いで工事現場のバイトをしている。コナユキには飯代だけ渡して出かける。コナユキはコンビニの食べ物を食べたことがなかったとか言っていたが、一日も経てば慣れたようだった。
俺が戻ってくるのは太陽が山が引っかかりはじめた夕方で、三日目の今日は、コナユキはひとりでブランコに乗っていた。一日目二日目は、おとなしくあずまやの中にいたのだが。
「あっ、冬麻! おかえりー」
コナユキはするするとすべり台を滑り降り、、俺のもとへ駆け寄ってきた。
「おつかれさま!」
「ああ」
帰ってきたときに迎えてくれる人がいるというのはとても心地よいものだ。特にコナユキの純粋な笑顔を見ると、疲れも何もかもが宇宙の彼方に消え去ったかのように思えた。
「ねえねえ、冬麻はどこに住んでたの?」
ぽてぽて歩き出すコナユキに従う形で俺も足を動かす。
「俺は……東京にいた。かなり外れの方だけどな」
「遠いとこから来たんだねぇ……」
「コナユキは?」
するとコナユキは屈託のない笑顔で答えた。
「あたしはねぇ、藤沢市だよ。近いでしょ」
(藤沢駅は……確かここから三駅くらいだよな。なら、コナユキの親もすぐに見つけられるだろう……)
コナユキが親に見つかる。それはすなわち、コナユキがいなくなるということだ。
(コナユキが、いなくなる ?)
「冬麻ぁ、ブランコやろ、ブランコ!」
そう言うが早いか、コナユキはブランコの方へ駆けだしていた。
「ほらっ、冬麻も早くぅ!」
「わかったわかった」
俺は苦笑顔を浮かべながらも、心はとても楽しんでいた。
コナユキがいなくなるなんて、考えられなかった。 考えたくなかった。
ずっと生活するだけで精一杯だった日々。何もやることもないし、とても退屈だった。
でも、今は違う。コナユキがいる。コナユキがいれば、とても楽しい。とてもあたたかい。
ずっとずっと、ここにいてほしい。俺のそばにいてほしい。
「冬麻? どうしたの?」
ブランコをこがずに座ったままの俺に、コナユキが駆け寄ってきた。夕焼けがコナユキをオレンジ色に染めている。
「なんでもない。……夕飯、買いに行こうか」
「うんっ」
コナユキはぎゅっと俺の手を握ってきた。いつもより、どこかきらめいた微笑みを浮かべて。
俺も微笑みを返し、よりきつくコナユキの手を握り返した。
それから数日間は何の音沙汰もなく、俺とコナユキは楽しく過ごした。
俺にとって、人生で一番楽しかった日々。
そう言っても過言ではないくらいだった。
でも、別れの日は、突然やってきた。
何の前触れもなく。
コナユキは俺のもとから……消えてしまった。
その日は、俺の誕生日だった。
夕方、バイトから帰ってくると、コナユキはあずまやの中をキレイに飾りつけていた。
「ねぇ冬麻。あたしの秘密、教えてほしい?」
コナユキは秘密めいた微かな笑みを浮かべていた。ちらりと人間離れしたものを感じた。
「秘密? 何だよ?」
コナユキはしばし上目遣いで俺を見つめてから、重々しく口を開いた。
「あたしねぇ……人間じゃないの」
「……へ?」
それは言葉として俺の脳に入ってこなかった。何度もぐるぐる頭の中を回ってから、俺はやっと理解することができた。
「人間じゃ、ない……?」
「うん。あたし精霊なの。雪の精霊」
あまりにも現実離れしたものだったが、コナユキはさらりと言ってのけた。これまでのコナユキの発言を覆してもいい何かが、その言葉にはあった。
「本当……なのか……?」
馬鹿らしい、とは思わなかった。何故か信じてしまった。
「だからね、あたし、春になったら溶けて消えてしまうかもしれないよ。雪の精霊の命は冬だけだから。それに、精霊は人間と会っちゃダメなんだ。だから、冬麻とは離ればなれになっちゃうかもしれないね」
震えるような幼い声と、愁いを帯びた微かな笑み。そしてコナユキが語った真実は、とても切なく、とても悲しいものだった。
(人間なら、いつかどこかで逢えるかもしれない。だけど、コナユキとはもう )
そう思うと堪らなかった。愛おしさがぐうっと胸を締めつけた。
「コナユキ……」
俺は何も考えられず、夢中でコナユキを抱きしめた。
「え、と、冬麻っ……?」
「コナユキ」
コナユキの声を制する。そうしないとこの場でコナユキが消えてしまいそうな気がしてならなかった。
「どこにも行かないでくれ。俺は、ずっとおまえにそばにいてほしいんだよ。もう……おまえがいないなんて、考えられないんだ……」
コナユキが愛おしい。とても、とても。コナユキが消えてしまったら きっと俺も消えてしまう。この感情は。
「……好きなんだ、コナユキ……」
決して離したくない。ずっとそばにいてほしい。ずっと……。
「冬麻……」
答えを聞くのが怖かった。何しろ立場が違いすぎる。だから俺は、コナユキから慌てて手を離した。
「夕飯、買ってくる」
俺は慌ただしくあずまやをあとにした。たかだか十分くらいのことだったと思う。 でも、それがいけなかったんだ。いくら答えが怖くても、聞いておくべきだったのだ。公園にいなければならなかったのだ。
コナユキは、俺が公園を離れた十分足らずのうちに姿を消したのだから。
オレが戻ってくると、もうそこにコナユキの姿はなかった。
コナユキが作ってくれたキレイな広告紙のテーブルクロスはビリビリに破かれ。小さな花を活けていたガラス瓶は中身を空っぽにして床に転がり。紙コップや紙皿には痛々しい靴跡がいくつも重なってついていた。
「コナ、ユキ……?」
そっと呼んではみたけれど、人の気配はまったくなかった。
(コナユキは本当に消えてしまったのか!? まだ春じゃないのに……)
どどっと自分の情けなさとひどい喪失感に襲われて、俺はへなへなと座り込んでしまった。
すると、何かが俺の手に触れた。
俺宛ての手紙だった。おそらくコナユキからの。
『冬麻へ
Happy Birthday!
十六歳おめでとう。
お誕生日の記念に、詩を贈ります。
私が作った詩です。
笑わないでね。
コナユキより』
重なっていたもう一枚の便箋に詩が書いてあった。
その詩を、口に出して読んでみた。
『窓の外を見てみた
白い雪が舞っていた
ひらひらひらひら蝶みたい
ふわふわふわふわ綿みたい
冬の雪は美しいと思う
冬の寒さを和らげてくれる
冬の雪は儚いと思う
あっという間に溶けてしまう
でもなぜか心に残る
そんな冬の雪が
私は好きです』
読み終わったとき、涙が流れた。
この詩がとても綺麗でとても寂しいものだったから、あまりにもコナユキらしいと思えたから。そして、この詩にこめられたコナユキの想いがとても悲しかったから。
涙を流すなんて、しかも他人のためになんて たぶん、生まれて初めてのことだと思った。
俺はその日、コナユキのいないあずまやで、コナユキの使っていた毛布に包まって眠りについた。
あれから何日経っただろう。 夕方バイトから帰ってくると、あずまやの前にに知らない女の人が立っていた。
歳はおそらく三十代、活発な印象を感じさせるショートカットの女の人だった。
「冬麻くん、ですか?」
名前を呼ばれてびっくりした。まじまじとその人の顔を見るが、知らない人だ。だけど、どこか見覚えがあると思った。
「私、あなたのところに居候していた娘の母です」
「コナユキの!?」
そういえば、似ている。
豊かな黒髪も、つぶらな瞳も、幼さを残した表情も。
その人は何故か、悲しそうな笑みを浮かべた。そして、白い封筒を差し出した。
「娘から、預かってきました。私の娘は、幸せです。命が尽きるまえに、いい人と出会えたのですから……」
「命が、尽きる……?」
(コナユキ、まさか……!!)
頭に浮かんだ答えはあまりにも残酷で、俺は見なかったことにした。そうしないと立っていられなかった。足はがくがくと震えていた。
コナユキの母親は、無表情に近い顔つきで淡々と続けた。
「娘は、言っていなかったのですね。……本当のことを言います。娘の名前は、コナユキではありません。恵雨、です」
「メグウ……?」
聞き慣れない音に俺は困惑した。
(コナユキは、コナユキじゃない……? じゃあ、精霊だという話もウソだったのか……? )
「恵雨は、生まれつき心臓が悪かったのです。幼い頃からよく入退院を繰り返していて……。恵雨の父親の会社が倒産して、入院費が払えなくなって、私たちは大喧嘩をして 離婚に至りました。一ヶ月ほど以前のことです。そのとき、聞いてしまったのでしょう。恵雨の命が、残されていないことを。……一週間前、私は大会社の社長と再婚しました。それが、気に入らなかったらしく、恵雨は夜、病院を抜け出して……」
コナユキは、知っていたのだ。己の命の時間が、少ないことを。だから、「春になったら消えてしまうかもしれない」と言っていたのだ。
「恵雨はほとんど病院で育ったような子です。そんなに遠くには行けないと思っていました。だから警察には届けていましたが、恵雨の父親ともどもこの近隣をしらみつぶしに探していたのです。そして、この公園に高校生くらいの男の子と中学生くらいの女の子が住んでいると聞いて……昨日、連れ戻しに来たのです」
あの惨状は、争ったあとだったのだ。弱った心臓で、コナユキは精一杯抵抗したに違いない。
俺がいれば、こんなことにはならなかった。俺がいれば!!
「病院に帰るとすぐ、恵雨はその手紙を書きました。そしてその三十分後、心臓発作を起こして……亡くなったのです。あの子はずっと、あなたの名前を呼んでいました。あなたの名前だけを……」
それだけ言うと、コナユキの母親は立ち去ってしまった。
しばらく呆然と立ちつくしていたけど、はっと我にかえって、俺は急いでその場で手紙の封を切った。
手紙には、こう書かれてあった。
『冬麻へ。
最後のお別れが、あんなふうになってしまってごめんなさい。
きっともう、会うこともないと思います。
私の命はもう長くないから、ここで本当のことを言います。
ずっと騙していてごめんなさい。でも私、冬麻にだけは知られたくなかった。心配かけたくなかった。
だから言わなかったけど、今言わないときっと一生言えないだろうから、言います。
私の本当の名前は、恵雨です。めぐう、と読みます。
でも私は、この名前が大嫌い。パパのことを、思い出してしまうから。
私は心臓の病気で、小さい頃から入退院を繰り返していたけど、そんな私でも、パパはかわいがってくれた。
だから、私はパパが大好きだった。でも、パパの会社が倒産して、私の入院費が払えなくなって。
ママはパパと離婚してお金持ちと再婚した。
パパが出て行った日、雨が降っていた。
だから私は、“雨”の字がつく私の名前が嫌いになった。
『恵みの雨』なんてウソ。雨は、私からパパを奪った。だから、大好きな“雪”のつく名前を名乗ることにしたの。
雪は、パパも大好きだったから。
最後にひとつ。本当は直接、冬麻の誕生日に言いたかったけど、もう会えないから言います。
冬麻が好きって言ってくれたとき、すごくうれしかったよ。
私も、冬麻のことが好きです。
パパよりも、誰よりも、冬麻のことが、大好きです。
コナユキより。』
俺は絶対、コナユキのことを忘れない。
絶えることなく流れ続ける涙と共に、そう、心に誓った。
十二月九日、二十歳の誕生日。
俺は、公園のあずまやに行った。四年のうちにペンキが塗りかえられて、あの頃よりとてもキレイになっていた。
「コナユキ……」
そうつぶやいたとき。
『冬麻!』 俺の名前を呼ぶ、ほのかに甘く、幼い声。
振り返ると、入口近くに白いコートに白いロングフレアースカートの女の子の姿があった。
「コナユキ……!?」
『冬麻!』
コナユキが駆けてくる。そして俺の前で立ち止まる。
『冬麻、大好きだよ。冬麻……』
「コナユキ!」
抱きしめようとした腕は虚空をきり、そのままコナユキは消えてしまった。
本当に、好きだった。これからの人生、きっとコナユキ以上の女性はいないと、俺は思う。コナユキ以上に愛せる女性は、いないと思う。
ふわりと舞い降りたこなゆきが、俺のてのひらのうえで溶けた。
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