大神デューンにまつわる物語

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  神様のいない街  



 ゴーン、ゴーン……。
 時を告げる鐘の音が、荘厳な響きをたたえて街中に広がってゆく。
 清々しい夜明けの光が満ちる。
 ル・デューの街がうごきはじめる。



 街の中心部からすこし離れた場所に建つ、聖ウォーリア教会。石造りの質素な建物だが、信仰の対象としてのみではなく、時の鐘を管理する場所としても民の信頼の厚い場所だ。
 朝の七時を告げる鐘で教会の正門が開く。同時に、そのなかから白い息を吐きながら何人もの子供たちが飛び出してきた。朝の日課である、教会まわりの掃除をするためである。
 彼らは皆、身寄りのない子供たちだ。教会は、恵まれない子供たちの唯一の居場所でもある。
 時を同じくして、教会には朝の礼拝のためにぱらぱらと人が集まりはじめる。しかし寒くなりはじめた晩秋の頃ということもあり、人影はまばらだ。
「おはようございますっ」
「おはよう。毎日ありがとうね」
 子供たちが挨拶をすると、大抵の人はやさしい言葉をかけてくれる。お駄賃としてお菓子をくれたりする人もいて、淡い期待を抱きながらの挨拶活動でもあった。
「フィオレラ! 見て、キャンディーをもらったよ!」
 ひとりの小さな男の子が嬉しそうに、十五歳ほどの、最年長と思しき少女に駆け寄った。小さなてのひらの上に、キャンディーの包みが二つ乗っている。
「あげる! フィオレラに一つあげる!」
「ありがとう、アンリ」
 フィオレラと呼ばれた少女は、微笑みながらキャンディを一つ受け取った。
「さ、礼拝がはじまる前に、掃除を終わらせましょ」
「はーい」
 そして、ちょうど掃除を終える頃には、十五歳以上の少年たちが外に出てくる。彼らはこれから、街の工場へ働きに行くのである。少額ではあるが給金も支給されるので、いくらか貯まったら少年たちは教会を出て自立してゆくのだ。
「フィオレラ」
 その少年たちの中でも一際背が高く、精悍な少年がフィオレラを呼ぶ。
 フィオレラは彼の姿を見ると、かすかに頬を染めながら微笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい、ヴィクトル」
「ああ」
 ヴィクトルがぽんっとかるくフィオレラの頭を撫でると、まわりの子供たちからわあっと声があがった。
「ずるーい、フィオレラだけっ!」
「わたしも、わたしもーっ」
「ぼくもっ!」
「はいはい、順番な」
 我先にと飛びついてくる子供たちに、ヴィクトルは笑いながら頭を撫でてやる。傍らで、フィオレラも楽しそうにその光景を眺めていた。



 暖炉でゆるく火が燃えている。
 その前に置かれた肘掛け椅子を静かに揺らしながら、フィオレラは聖書を読んでいた。
「まだ起きてるのか」
 ギッ、と音をさせて肘掛け椅子の背もたれに手をかけてきたのはヴィクトルだった。
「うん……。ねぇ、ヴィクト……」
 振り返り、名を紡ぎかけた唇は、ヴィクトルの指にやさしく押さえられた。
「ふたりきりのときは……その名は呼ばない約束だろう?」
「あ……ごめんなさい。でも、普段も間違えそうで怖いわ……、ヴィガー」
 ヴィクトル――ヴィガーは満足そうに微笑む。
「一度くらいなら聞き違えでとおるさ……フィーレイ」
 フィオレラ――フィーレイもつられて笑みを浮かべた。

 ヴィガーとフィーレイ。
 ふたりはこのル・デューの街の者ではない。
 ふたりの生まれは、ル・デューの街の南に広がる砂漠地帯に在る小さな村。村の名前など気にしたことがなかったが、ここでは“ペルデュー”と呼ばれているらしい。聖書に出てくる言葉で、“失われたもの”という意味だと聞いた。
 “失われたもの”。
 あの世界から隔離された美しくも脆い村は、確かにそうなのだろう。しかしふたりはル・デューの街で、たくさんのものを失った。

 その最たるものが、神だった。

「ヴィガー……やっぱりわからないわ。どうしてわたしたちの大神たいしんは……デューン神は、ここには存在していないの……?」
 あの村では絶対の存在であった、大神デューン。
 ふたりを村から追いしめた元凶。
 それなのに、交流がないとはいえ目と鼻の先の距離であるル・デューの街では、その存在すら確認できないのだ。
 神が世界のすべてであると学んだはずなのに。
 どこにいても、神は存在するものなのだと……。
「わからない……。俺も少し聖書は読んだけれど、世界の成り立ちなどはあの村で読んだ聖書と変わらなかった」
「ええ。聖戦争のくだりもほぼ同じ。違っているのは……権力を握る神の名だけなの」
 ル・デューを含む世界を統べているのは、唯一神ヴェント。
 あの村では聞いたこともない神の名だった。それと同じで、ここではデューンの名の欠片も見つけられない。
「……俺たちはもう、デューン神を信ずるべきじゃないということかもしれないな」
「ヴィガー……」
「そうだろう? 俺たちはあの日、大神を裏切った……! だからもうっ……」
 ヴィガーの手の震えが、彼の掴んだ背もたれを通じて伝わる。フィーレイは立ち上がり、ヴィガーをつよくつよく抱きしめた。
 ヴィガーがデューン神に捕らわれているということに、フィーレイは気づいていた。
 無理もない。彼は生まれたときからずっと、あの村の跡取りとして教育されてきたのだ。大神デューンが至高の存在であると、繰り返し繰り返し。その十七年間をさらりと流せといわれるほうが難である。
 フィーレイはヴィガーほど、大神に執着しているわけではない。ル・デューの聖書を学び、異なる神がいるということも受け容れている。ただ納得できないだけだ。どうして大神デューンは、あの村だけに多大なる影響力を持つに至ったのか。
「……大丈夫よ、ヴィガー。わたしたちは確かに大神デューンに背いたけれど、このル・デューにおわす神に反してはいないわ。だから……大丈夫よ」
 唯一神ヴェントは、救いを求めて祈る者はすべて愛おしもう、と聖書で述べている。
 それならばどうか。

 神を失くしたわたしたちに救いの手を。

 祈りを。



 ゴーン、ゴーン……。
 真夜中を告げる鐘の音が、夜の帳を揺らして響いてゆく。
 何処かに坐す神の耳に、切なる祈りを届けるように。
 
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