大神デューンにまつわる物語

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  神への哀歌  



 静けさが沈み込んでいる砂漠の夜。
 かすかに空気を揺らすは、悲しい歌声。
 孤独の歌姫が織りなす淋しい哀歌――



 まわりを砂漠に囲まれ、孤立している閉鎖的な村がある。その中心にはたいそう立派な神殿が建っていた。この村のみが信仰する、大神たいしんデューンを祀った神殿である。
 夜な夜な、この神殿の何処かから女性の歌声が聞こえるようになったのは、半年ほど前からのことであった。
 理由を知る大人たちは、見て見ぬふりを通していた。しかし、子どもたちは無邪気に疑問をぶつけてくる。そこで、大人たちは口を揃えてこう答えるようになった。

「大神に恋した妖精が、叶わぬ恋を嘆いて歌っているのだよ」と……。



 この神殿に、神官でもないのに毎日朝早くから通う青年がいた。
 村長の跡取り息子、ウェッドである。
 端から見れば信心深い立派な青年としか映らないが、事情を知っている村の人々は誰しも、彼を同情的な瞳で見つめていた。
 ウェッドは、礼拝のために神殿を訪れているわけではないのだ。その証拠に、本殿ではなく離れの建物へ入ってゆく。そこには地下へ続く階段があり、ウェッドは慣れた様子でそこを下りていった。
 階段を下りきるとそこには木製の扉があり、二人の神官が見張りを務めている。神官はウェッドの姿を認めると、黙って扉を開いて奥へと導いた。
 扉の奥は、牢屋になっていた。
「エレジー」
 ウェッドが牢屋の中にいる人物に向かって呼びかける。
 薄暗闇の中で、ゆっくりと獄中の女性は顔をあげた。
「ウェッド……」
 その声は、何かの楽器であるかのように澄んだ綺麗な音を奏でた。
 光の乏しいこの場所でもきらきらと輝く金の髪は、床に広がるほどまで長く、瞳はまるで砂漠の中のオアシスのような深緑色。すっかり黒ずんでしまっている簡素な白いドレスを着ていたが、その人間離れした美しさは損なわれることなくそこにあった。
「もう、そんなに律儀に来てくれなくても良いのよ……?」
 エレジーは、傷ついた悲しい瞳をウェッドに向けた。ウェッドは首を横に振る。
「私の一存で来ているのですから、貴女は気になさらないで下さい」
 一見すると冷たい物言いだけれど、エレジーはそれがウェッドの優しさなのだとわかっていた。不器用な人なのだ。だから、彼は――。
「貴女は、いつまで歌いつづけるつもりなのですか?」
 エレジーは、淋しく微笑んだ。
「……この命、尽きるまで……」
 歌は、エレジーにとって唯一の慰めだった。そして、唯一の感情を表現する方法だった。
「ずっと……あのろくでなしを慕いつづけるつもりなのですか……?」
 ウェッドは少し苦しそうに問うた。それはおそらく、この質問が彼自身にも跳ね返ってくることを重々承知しているからであろう。
 今度は、エレジーは力強く微笑み「ええ」と答えたのだった。



 村人の誰もが口をつぐむ事件。ウェッドとエレジーは、その最たる被害者であった。
 事の始まりは、【五歳の神託】。
 五歳になった子どもたちが大神デューンの神託を受け、将来の結婚相手を定められる儀式。
 エレジーが五歳の時に定められた結婚相手は、村長の長男でありウェッドの兄であるヴィガーだった。
 しかし、それがまずひとつめの波紋を呼んだ。何故なら、エレジーが大神デューンに仕える巫女だったからである。
 大神デューンの神殿に仕える神官は、世襲制である。その家系に生まれた男児が神官になることを義務づけられるのと同じく、女児には巫女となり、生涯処女であることが義務づけられた。つまりエレジーは本来、【五歳の神託】を受けるはずのない身分だったのである。
 しかし、稀に巫女の身分で【五歳の神託】を授けられる娘もいた。彼女らは【神に見放された娘】として不浄と見なされ、成人の儀を迎える十八歳までは穢れを落とすために神殿の牢に幽閉されるのだ。そうして巫女であった身分を捨て、村の生活へ溶けこんでゆく。エレジーも、同じ道を辿るはずだった。
 しかし、運命は皮肉にもねじれていった。
 二年後に【五歳の神託】を受け、ウェッドは村娘のフィーレイと結ばれる運命を授けられた。フィーレイは幼馴染みで、よく見知った仲であった。
 幼い頃は、ただ将来フィーレイと結婚するのだと漠然と思っていただけだった。それが当たり前だったから。けれど、物心がつき思春期を迎える頃、ウェッドは気づいてしまった。
 フィーレイの想いが、自分の兄に向けられていることに。
 ウェッドはもちろん、フィーレイを愛しく思っていた。それは神託で結ばれた相手だからという理由だけではなかった。真実、フィーレイを愛していた。
 だから余計に苦しかった。フィーレイからの書簡や贈り物が届くたび、その場で突っ返した。中身を見れば、ますます自分が惨めになると思った。
 フィーレイの結婚相手はまぎれもない自分なのだ。けれど、真実の想いを与えてもらえぬ結婚などしたくなかった。
 神託の相手に受け容れてもらえぬフィーレイを慰めていたヴィガー。ふたりが自然に惹かれあい、想いあってゆくのを、ウェッドはただ見ていることしかできなかった。
 その関係は、やがて父である村長はじめ、お偉方に露見した。彼らの非難を真っ向から受け止め、対立したヴィガー。


 その翌朝、村にヴィガーとフィーレイの姿はなかった――。


 エレジーは牢の中で、自分の結婚相手がいなくなったことを告げられたのだった。
 ヴィガーに代わり村長の跡取りとなった、ウェッドの口から。



「わたしは、本来処女を通すべき巫女の身……。一時でも結婚の夢が見られたことを、感謝しているのよ」
 けれどエレジーの表情には、言い表せぬ憂いが沈んでいる。
 エレジーは、齢十七。来年の成人の儀には、晴れてこの牢から出てヴィガーと結婚するはずだった。――けれど、そのヴィガーは姿を消した。


 結婚相手を失くした【神に見放された娘】の運命は?


 前例の無い出来事だけに、村の誰も、その解決策を見いだせずにいた。
「神官らは、必死になって大神へお伺いを立てています。エレジーの身の振り方と……、私の結婚について……」
 エレジーは悲しそうに笑った。
「わたしは、どうなろうと構わないのだけれど……。貴方は大変ね、ウェッド。村長の跡を継ぐのならば……障害も多いでしょうね」
「まったく無いとは、言えません。けれど大したことは無いです。ただ……結婚だけは、気が進みません」
「……貴方も、わたしと同じなのね」
 ウェッドは静かに頷いた。
 その時入り口の扉が開いて、神官が顔を覗かせた。
「ウェッド、神官長がお呼びだ。……お伺いに対する神託が、下ったそうだ」
 ウェッドはまた頷き、エレジーに向き直った。
「では、また参ります」
「……ウェッド」
 エレジーは静かな微笑みを浮かべて言った。
「わたしたちは、大神の意志を受け容れましょう。あの二人の身代わりに」



 神託により、ウェッドは生涯独身を貫くことを定められた。
 ウェッドの跡を継ぐのは、妹ヴァーナの産んだ息子になると言う。


 そして、エレジーは。
 神託の下ったその日のうちに、命を絶たれたのだった。
 運命の狂いをすべて、その身に背負って。



  主よ 天界にましますわれらが神よ

  なにゆえこの身を忘れ

  果てしない忘却の彼方に見捨てておかれるのでしょう

  主よ この命無に帰した今

  どうぞ神の御許へお迎えください



 悲しい悲しい、大神への哀歌を残して。
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