大神デューンにまつわる物語

ススム | モクジ

  砂漠に燃ゆる  



 夜の帳が降りた砂丘地帯の温度は、一気に下がる。
 裸足に感じる砂は、昼とは大違いでとても冷たい。こんな夜に、村から出たことが一度もないフィーレイにとって、何もかもが初めての経験だった。
「フィーレイ。今晩は、あの岩陰で夜を明かそう」
 フィーレイと同じく、大きな布を頭からすっぽり被った格好をしたヴィガー。彼は村を脱走した時からずっと、しっかりとフィーレイの手を握ってくれている。
「頑張れるか?」
 月明かりのみが頼りの今は、ヴィガーの表情は読みとれない。けれど、ちょっと困ったような顔をして、自分を気遣ってくれていることがフィーレイにはわかっていた。
「大丈夫よ、ヴィガー」
「よし」
 頭を覆う布の上から、ヴィガーのてのひらを感じる。フィーレイの頭を撫でるのは、ヴィガーの癖なのだ。
 ふたりはまた、砂に足を埋めながら岩陰を目指して歩き出した。



 砂丘地帯にある小さな村。
 非常に信仰に厚い村で、村内に点在する小さな社には供物が絶えたことはなく、いつも清潔に保たれている。そして通りかかる村民は皆、お辞儀を欠かさない。
 この村では、とある儀式が慣習化していた。

 『将来結ばれるべき相手は、齢五つで神託を受けることによって定められる』

 そんな言い伝えをもとに、年に一度、五歳になる子どもたちは皆大神たいしんデューンの神託を受け、結婚相手が決められる。
 今年十五歳になる村娘、フィーレイの相手も五歳の頃に決まっていた。
 村長の次男、ウェッド。
 フィーレイの母方の祖母が村長の血筋の者であることもあり、ウェッドとは幼い頃から交流があった。しかし、ウェッドは子どもらしくない子どもで、外に出て遊ぶことはほとんどなく、いつも部屋で書物を読んでいるばかりだった。
 だから、フィーレイの遊び相手は専ら、ウェッドの兄であるヴィガーと、妹のヴァーナであった。
「フィーレイ、見て!」
 フィーレイが自分の部屋で縫い物をしていると、バタン! と大きな音を立てて扉が開いて、ヴァーナが入ってきた。
「どうしたの、ヴァーナ」
「これ、どう思う? フェネルは気に入ってくれるかしら?」
 ヴァーナが手にしていたのは、刺繍の完成品だった。ヴァーナの結婚相手であるフェネルに贈るつもりらしい。
「とても綺麗ね、ヴァーナ。きっとフェネルも気に入るわよ!」
「本当? 有り難う、フィーレイ!」
 この世の幸をすべて受けたような笑顔を浮かべたヴァーナだったが、すぐにしょんぼりしてしまった。
「フィーレイ、ウェッド兄さんのこと……御免なさいね。ヴィガー兄さんから聞いたわ。貴女の贈り物を、受けとらなかったって……」
「貴女が気にすることないわ、ヴァーナ。仕方ないわよ……」
 フィーレイと、その結婚相手であるウェッドの仲は、うまくいっていなかった。それは極めて稀なことであった。フィーレイは、ウェッドに書簡を書いたり贈り物をしたりしていたが、ウェッドはそれさえも煩わしく思っているようなのだ。
「ああ、ヴァーナ。此処に居たのか」
 いつの間にやら、半分開きっぱなしだった扉から、ヴィガーが顔を覗かせていた。
「母上が呼んでいたぞ、ヴァーナ。刺繍の仕上げをするとか……」
「すぐ行くわ! また来るわね、フィーレイ!」
 ばたばたと騒がしくヴァーナが部屋を出て行くと、ヴィガーは後ろ手でゆっくりと扉を閉めた。
「……フィーレイ」
 大股で歩み寄ってきたヴィガーは、おもむろにフィーレイを抱き寄せる。
 想いの通じない、フィーレイとウェッド。
 一番フィーレイの近くに居たヴィガーが彼女に想いを寄せ、フィーレイも同じ気持ちを抱いたことは、極めて自然の成り行きだった。

 けれど、それは神の認めぬ関係。

「ヴィガー……。大神は、きっとウェッドとヴィガーをお間違えになったのね。だから、わたしとウェッドの仲はうまくいかなくて……わたしとヴィガーが想い合ってしまったのね……」
 己の胸に抱かれながらそう呟くフィーレイに、ヴィガーも頷いた。
「そうに違いないさ。……ああ、もうすぐ神託の日がやってくる。その時、神官様にお伺いしてみよう」
「それが良いわ、ヴィガー」



 けれど、それは叶わなかった。



 二人の関係が、村長をはじめとする村のお偉方にばれてしまったのだ。
「ヴィガー……自分のしたことの重大さが解って居るか? お前は、禁忌を犯したのだぞ!」
「……解って居ります、父上」
 集会の館で、村長を目の前に、お偉方を横にしたヴィガーは、きっと前を見据えて座っていた。
「いいや、お前は解って居らぬ。フィーレイとの関係を、恥じては居らぬ」
 ヴィガーは、少し笑った。
「……何故、恥じなければならないのですか?」
 その発言にいきり立ったのは、お偉方たちだった。
「な……何故恥じなければならないか、だと!?」
「ヴィガー! いくら村長の跡取りだとは言え、その物言いは何だ!?」
 ゆっくりと、ヴィガーはお偉方たちに視線を向けた。それは、鳥肌を立たせるような冷ややかさがあった。
「……ひとつ、お聞きしたいのですが。ウェッドは、どうなりますか。……フィーレイの懸命な奉仕に目もくれなかった。フィーレイは、何とか運命に沿おうとしていた。それを初めに壊したのは、俺ではない。ウェッドではないですか!?」
「………初めから壊れていたんだ。兄上」
 割り込んできた低い声。
 ウェッドが、剣呑な表情で入り口に立っていた。
「私が何故、フィーレイの奉仕に見向きもしなかったか。……私は知っていた。幼い頃から、フィーレイの真実の想いは私に無いことを。そんなもの、受けとったって仕方がないでしょう」
 視線を落としたウェッドの表情は読みとれなかったが、少し笑ったようだった。
「神託は、私の想いを汲み取ってくれた。けれど、フィーレイの想いは変わらなかった。……初めから、噛み合っていない運命だったんだ……」



「……フィーレイ」
 ヴィガーの膝枕に頭を置いて横になっていたフィーレイは、そっと閉じていた瞳を開いた。
「……なあに?」
 先程まではパチパチと爆ぜていた小さな焚き火は、もう消えかけようとしている。
「もし……。もし、ウェッドがお前のことを好いていたとしたら………どうする?」
 フィーレイは身体を起こし、じっとヴィガーの瞳を見つめた。
 ヴィガーは何でもないような表情をしているが、心はいている、とフィーレイは感じた。
 父の非難を一身に浴び、弟と真っ向から争わねばならなかったヴィガーの心中をすべて推し量ることは、フィーレイは無理だろう。
 何も出来ない。だから、フィーレイは力強く微笑んだ。
「わたしは、何があっても貴方についていく。目に見えない神託よりも、こうして目の前にいる貴方を信じるわ」
「フィーレイ……!」
 きつく、きつく、抱きしめてくるヴィガーの背に、フィーレイも腕をまわした。




 共に在ろう。

 たとえ神の意志に背こうとも。

 共に在ろう。

 胸に宿る炎で、

 この身焼き尽くされようとも……。

  (2006.07.11 一部加筆訂正)
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