荊の花

ススム | モクジ

  act 1-1, 怯えた瞳  


「あの……はじめまして……。花田七実はなだななみです……」
 玄関のドアを開けたら猛史たけしがいて、その陰からおどおどと姿を現した少女が震えるようなかすかな声でそう言った。
 肩の上あたりで切り揃えられた黒髪につぶらな瞳で、日本人形を思わせる古風な顔立ち。百七十五センチの猛史よりも頭一つ分程背が低く、かなり小柄だった。勿論、見覚えのない少女である。
「……誰?」
「ん、俺の彼女」
 さらっと答えた猛史に、悟史さとしは「あ、そう」とさらっと返し、そのまま自室へ戻ろうと背を向ける。
「おいおい悟史ぃ、冷たいなあ。ちょっとは愛想良く笑えないわけ?」
 爛漫な猛史の物言いに、悟史は眉をしかめて振り返った。
「別に、おまえの彼女に愛想振りまく謂れはない」
「あるよ、おおあり。三人で仲良くなりたいんだよ、俺は!」
 悟史はひとつため息をついた。猛史が、自分の友人や恋人と悟史を仲良くさせようとするのは毎度のことだからだ。ただ、いきなり家に連れてきて紹介されたのは初めてだ。
 おそらく強引に連れてこられたであろうその少女に、悟史は少々同情した。彼女は目線を落として所在なげにしている。
「……とりあえず、上がれば?」
 七実、と言った少女は一度猛史を見て、それから悟史に向かってぺこんと頭を下げた。


 悟史は沈黙の中、目の前に座っている双子の兄、猛史と彼女であるらしい七実を見ている。リビングの柱時計の秒針が、異様に大きな音で時を刻んでいる。
 七実は何ともお上品な様子で紅茶をすすっていて、猛史はそれを微笑ましそうに見つめている。
 悟史の手元にあるマグカップは既に空になっていた。皿にあけたスナック菓子をちびちびとつまんではいるが、どうにも手持ちぶさたでならない。椅子を引いて立ち上がった。
「……何も話さないんなら、部屋に戻るぞ」
「せっかちだなあ、悟史。慌てるなよ。七実は何でもゆっくりなんだ」
 カップを静かに置くと、七実は悟史を見て「……ごめんなさい……」と呟くように言った。
「あの……わたし、本当に、行動が遅くて……。あの、仲良くなりたいんですけど……話すのも下手で……ごめんなさい……」
 悟史はいらいらした。
 確かに悟史はせっかちだが、七実の行動や口調が遅いからいらいらしたわけではない。

 瞳だ。

 自己紹介をされたときは、急に彼氏の家を訪ねることになって戸惑っているのだろうと思っていたが、どうやら七実は常にこういう瞳をしているようだ。不安に揺れる、怯えたような瞳。話し方もたどたどしいし、おとなしくひっこみ思案な性格らしいことはわかるけれど……。悟史は居心地の悪さを感じてしまった。それでも初対面の少女にそんなことを言う程、悟史は無神経ではない。
「別に、気にしてないから」
 ぶっきらぼうにそう言った。
「そうそう。こいつは短気で無愛想だけど、優しい奴だから。悟史、七実はおまえと同じ法学部なんだ。大学で会っても仲良くしてやってくれよな!」
 猛史はそんな悟史の心情を知ってか知らずか、楽しそうに笑って言った。


「おまえの彼女にしては、珍しいタイプじゃないか?」
 夕食の後、悟史の部屋で寝転んで雑誌を読みはじめた猛史に問いかける。
 あの後、同じ学部ということで少し授業の話などをしてから七実は帰っていった。一般教養の授業は同じクラスのものもあったが、法学部の基礎科目はほとんど違う時間割だった。どうりで知らなかったわけだ。
 猛史はちらっと一瞥をくれて、「そうだな」と答えた。
 それにしても、猛史の彼女とは意外である。あんな、見るからにおとなしげな深窓のお嬢様が好みではなかったはずだ。
「でも何か、落ち着くんだよな。七実といると」
 逆に俺は落ち着かない、と悟史は思う。あんな何かに怯えるような瞳で見られても、どうしていいやらわからない。猛史は面倒見が良いので、頼りなさげな七実の面倒を見るのも楽しいのかもしれない。
「瞳が、さ……頼り切ってるよな。猛史のこと」
 七実と話をしていると、彼女は必ず猛史の方を窺ってから悟史の問いかけに答えるのに気づいた。まだつきあいはじめて間もないと思うのに、全幅の信頼を寄せられているようだった。
 正直重くないか? と訊ねたいところだったが、悟史は一応遠回しに訊いてみる。しかし猛史は裏の質問に感づいたようで、苦笑した。
「まあな。いつか重くなるのかもな。……だけど、今は放っておけないと思ったんだ」
 急に真面目な色を帯びた猛史の声音に、悟史は細く息を吐く。
「何か、ワケあり?」
「……まあな」
 猛史の声音は、「いつか、話す」というニュアンスを含んでいる気がして、悟史はそれ以上は問いつめなかった。


 怯えたように揺れるあの瞳の奥には、何があるのだろう――?
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