― 関西弁シリーズ ―

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  幕間 〜 しるし 〜  


 ももの部屋は、シンプルでいてとても女らしい。
 カーペットやカーテン、ベッドカバーなどはすべて淡いベージュでまとめられている。部屋の隅に置かれている、電子ピアノのカバーも同じ色。すっきりと片付いていて、無駄な飾り付けはないけれど、机やタンスの上に霜子そうこと一緒に買った雑貨がセンス良く置かれている。
 それに比べて、自分の部屋はごてごてしているなあと思わずにはおれない。片付けが苦手で、古いものがなかなか捨てられないから押し入れはいつまで経ってもぎゅうぎゅう詰めだ。
 霜子は自分用に置かせてもらっている、水色の抱き枕をぎゅっと抱き込んだ。
 野分家へ泊まらせてもらうのは四度目くらいだが、定期テスト一週間前などはたびたびお邪魔して一緒に勉強をしたりしていたのですっかり自分の居場所の一つとして馴染んでいる。
「なぁ……霜子」
 テーブルに広げられた楽譜から目を上げて、桃が霜子に呼びかける。
「なに?」
 おそらく、直行なおゆきと逢ってきたことを訊かれるのだろうと思った。桃は二人の関係をいつも案じてくれている。
「今日、尾方おがた先輩と逢って来たんやんな?」
「うん」
「何も……変わりない?」
「うん」
 直行の話題を出すときの桃は、どこか物憂げだ。だから霜子は、だいたい頷くだけに止めて話題を広げないようにしている。桃が彼を苦手に思っていることを知っているのもある。「先輩に非があるわけじゃないで。……ただ、わたしと合わへんだけ」と桃は言う。誰にだってそういうことはあるから、霜子は仕方のないことと受け止めていた。合わないと言いつつ、桃は快く恋愛相談に乗ってくれるのだけれど。
 直行との関係は穏やかで、何も問題ない。そう思う。
 けれど、断言できない何かがあることも事実だった。まだ言葉にもならないような、一抹の不安。何が、と訊かれてもわからないのだが、疑心暗鬼に陥りそうになるのだ。
 それはやはり、大学生と高校生という差なのかもしれなかった。
 高校という、同じ場所に所属していたときには決して感じなかったものだ。霜子はまだ小さな箱の中にいるのに、直行はその箱から出て広い世界を見聞きしている。霜子の知らないその世界には、いくらでも未知がころがっている。たくさんの岐路があって、進むべき道を選ぶことができる。直行は、いつまでも霜子のような小さな存在に縋りついている必要はないのだ。
「……霜子?」
「……あ、えっ……?」
 物思いに沈んでしまっていたらしい。桃の声で、引き戻される。
「大丈夫? やっぱり、何か悩んでるんちゃうの?」
「大丈夫、何もないよ。ちょっと、ぼーっとしてただけ……」
 笑みを浮かべてみせると、桃は何も訊かずに笑い返してくれた。
「あ、そういえば……貴紀たかのりくんにばれちゃった。直行さんのこと」
 話題転換に、霜子は敢えて明るい種を選んだ。気持ちが落ち込んだときはそうするに限る。
 霜子にとって、貴紀と過ごす時間はとても楽しいものだ。だから自然と、貴紀の話題を出せばいくらか気分が上昇する。
「あぁ……そうらしいね。駅で見たって言ってたわ」
 何を思いだしたのか、桃は楽しそうに笑い声を上げた。
「どう? “弟”に彼氏の存在を知られた気持ちは?」
 一人っ子の霜子にとって貴紀が“弟”同然の存在であることを、知っていての発言だ。霜子は少し考えるそぶりを見せてから、口を開く。
「恥ずかしかった、けど……。でも、何か……違うと思った」
 何が、と桃は目線で訊く。
「……貴紀くんは、“弟”じゃないのかも、って思ったん」
 桃は深く息を吐いたようだった。
「何で……そう思ったん?」
「貴紀くんの手が……大きくて、あったかくて……直行さんの手みたいやった。それって何か、“弟”とは違う……やろ?」
 自分でも把握しきれていない気持ちなので、言葉にしたら余計に上手くまとまらなくて、最後は問いかけるような形になってしまった。
 血縁のある弟を持った経験などないから比べようもないけれど、霜子はずっと貴紀を“弟”のように感じてきた。それは桃の傍で彼と接し、桃に対する彼の態度をよく見てきたからこそ、自分自身も“姉”になった気持ちを味わっていたからかもしれない。貴紀の霜子に対する態度が、桃に対するそれと大差なく気安いものだったのも一因だろう。
 霜子はよく、桃に抱きついたり手を握ったりする。指の長い彼女の手は適度な温度を保っていて、触れるたびに霜子はとても安心するのだ。だから貴紀にも同じものを求めていたのかもしれない。――しかし彼の手は、予想よりもはるかに熱を持っていた。
「上手く言葉にならへんねん……。けど、何か違うような気がして……」
「えぇよ、何となくわかるから」
 唇を噛みしめて抱き枕に顔を埋めた霜子の頭を、桃は励ますように軽く撫でた。
「何やろう……もやもやした気持ちが心の中にあって、すっきりせーへんねん。貴紀くんのこと、嫌いとかそんなんじゃなくて、むしろすごく話しやすくて心地良くて……それやのに……」
 好感を抱いている貴紀に対し、正体不明の晴れない想いを抱えていることが霜子には苦しいのだった。
「わかってるよ。霜子が貴紀のこと気に入ってくれてんのは、わたしがようわかってる。だから考えすぎんとき、霜子」
 桃は内心、霜子の心境の変化を好ましく受け止めていた。霜子が悩む姿を目の当たりにしてしまうのは少々つらいことだが、どのみち彼女が悩むのならば直行のことより貴紀のことであってほしいというのは一種の姉バカであろうか。自分が思ったより貴紀に肩入れしていることを、桃は自覚した。
 もしそれが崩れ落ちる定めであるのなら、そのときに彼女を受け止めてやれる存在があれば心強い。結果どのような関係になるかはわからないけれど、とにかく貴紀が霜子に惹かれてくれたことを頼もしく思った。
「それに、貴紀も霜子のこと気に入ってるから。考えすぎて霜子がぎくしゃくするようやったら、あの子も気にするし、普段通りしてたらえぇんやって」
「うん……」
「あ、もう一時。そろそろ寝よか? 寝たら、いくらか気分もすっきりするかもしれんで」
 まだ浮かない表情は残っていたが、霜子はその提案に笑みを浮かべて頷いた。
「そやね。うじうじしててもしょうがないし!」
 よしっ! と気合いを入れ直してから、霜子はベッドの脇に敷いた布団の中へもぐりこむ。
「電気消すでー」
「うん。おやすみ、桃」
「おやすみ、霜子」
 パチン。桃が蛍光灯の引きひもを引いて明かりを落とした。
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