― 関西弁シリーズ ―

ススム | モクジ

  大きな軍手  

 地を這うような冷たい風が吹きつけてくる夕暮れ時。朱に染まっているのは山の端近くだけで、空の大部分は灰雲に覆われてしまっていた。
「さむいぃー」
 恨めしそうな声をあげながら、霜子そうこは前に垂らしたマフラーの両端をぎゅっとかき合わせた。
 セーラー服は首回りが開きすぎていていけない。タートルネック愛好家としては非常に遺憾なことであった。
貴紀たかのりくん、よぉそんな薄着でいられるなぁ」
 霜子は身体を縮こまらせて歩きながら、隣にいる学ランの男子生徒を見上げた。
「学ラン着てたらだいぶあったかいで。霜子さん寒がりすぎ」
 しれっと言い返されて、霜子は何も言えなくなる。
 彼は、霜子が今一番仲の良い友だちである野分桃のわきももの弟、貴紀。霜子らより二つ年下、同じ高校に通う一年生。たまたま学校帰りに会ったので駅までの道のりを一緒に歩いているのだが、このしれしれっとした物言いが、まったく桃とそっくりなのだ。親の遺伝は偉大だ、なんてことをしみじみ考えたりしてしまう。
「雪降りそうやなー」
「えっ、嫌やわこれ以上寒くなったらっ!」
 嬉しそうに空を見上げてつぶやいた貴紀の言葉に、霜子は思わず食ってかかった。
「うっわ、夢ないこと言うなあ……」
「ほっといて。わたしには死活問題やの」
 冬生まれの子は寒さに強い、なんて何処の誰が言い出したのか知らないが、絶対嘘だ。現に、十一月生まれで「霜子」なんて名前をつけられた自分がこの有様なのだ。
「貴紀くんて何月生まれ?」
「四月やけど」
 ほら、やっぱり嘘だ。霜子は誇らしげな気持ちになる。
「何なん、急に。あっ、プレゼント姉さん経由はやめてな。絶対開けられて盗られて、ってなるから」
「あげへんよ、そんなん。ただ、冬生まれの子が寒さに強いっていう言い伝えがいかに信憑性の無いものか確かめたかっただけ」
「……ふーん?」
 貴紀はしれっと首を傾げた。無関心そうに見える仕草だが、実際のところ彼は香村かむら霜子にとても興味を持っていた。先程のような、突発的な訳のわからない言動もひっくるめて。
 軽いノリでポンポンと交わされるこの会話は、一見すると他の友だちとのものと変わらない。けれど、本質が違うのだ。霜子はいつでも真剣なのである。軽快で真剣な言葉たち。だからよくわからないし、それが面白いのである。
 ひゅう、と音を立てて一陣の風が二人の前を通り抜けた。貴紀は、その後を追うようにぱらぱらと散らばり舞う細かな白いものに気がついた。
「うそぉ、雪ホンマに降ってきたー」
 霜子がほとんど悲鳴に近い泣きべそ声をあげたので、間違いないだろう。
 貴紀は空を仰いだ。無数の粒子が一気に地上へと押し寄せてきていた。夕陽色はもう、山の稜線をぼんやりと縁取るくらいにしか残っていない。
 ぶわっと突風が吹いて、上空の粒子が狂ったように頭上で回転してから二人に襲いかかってきた。
「冷たいー! 貴紀くん、早よ避難せな!」
 霜子はぐいっと貴紀の手首をつかみ、すぐ脇にある携帯電話ショップの軒に入った。
「もー最悪やぁ、コート雪まみれやし……」
 たった一、二分程のことだったはずなのに、霜子の黒いピーコートの前面はほとんど白に染まっていた。雪の一片一片が大きくてべったりと貼り付いているため、霜子は雪をはたき落とすのに苦戦しているようだった。
「鈍くさいなー、霜子さんは」
 貴紀は苦笑して、霜子の肩に積もった雪を手早く払ってやった。
「あ、ありがとう」
 にこっと霜子が微笑む。寒さのせいか、鼻の頭が赤くなっている。
「あ、貴紀くんも雪ついてるで」
 え、と思うまでもなく、霜子は背伸びをしてぱっぱっと貴紀の髪を撫でるように手を動かした。どうやら、頭に少し雪が積もっていたらしい。
「はい、取れた」
 そうして、ぱたぱたと手を乾かすように振る仕草を見せる。その手もまた、雪に触れたせいで赤くなっていた。
 貴紀は、学生鞄の中から手袋代わりに使っている一組の軍手を取り出し、霜子に差し出した。
「寒いんやろ。貸したるわ」
 霜子は鼻の頭を赤くしたまま、ちょっと首を傾げた。
「良いん?」
「良いで。もうひとつあるし。普段、二枚重ねで使ってるから」
 貴紀がもう一組の軍手を取り出して手にはめると、霜子も倣って同じようにした。
「ぶかぶかやぁ」
 指先が余りすぎている軍手をはめた手を、楽しそうにぱたぱたと上下に振る霜子。
 先程より少し小降りになったものの、雪はまだ止む気配を見せない。軍手は、二人を十分あたためてくれそうだった。
ススム | モクジ
Copyright (c) 2004 Aoi Himesaka All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-