荊の花

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  act 3-1. 偶然の遭遇  


「あ、いたいた。樫原かしはらくん!」
 悟史が高校生の頃からアルバイトを続けているファーストフード店。制服に着替えて更衣室から出てくると、悟史は店長に呼び止められた。
「昨日から入った新人がいるんだけど、見てやってくれる? 中野くんが指導するはずなんだけど、今日は急に休みでね」
 店長は、アルバイトのキッチンスタッフの中では一番の古株の名前を挙げた。悟史にお鉢が回ってきたのは、悟史がその次点だからであろう。
「わかりました」
「頼むよ。まぁ、仕事はよくこなしてると思うから」
 店長がぽんと肩を叩いて行ってしまうと、悟史はため息を吐いた。面倒なことを押しつけられた、と。
 とにかく、悟史は面倒なことが好きでないのだ。このアルバイトも、ファーストフードを手順どおり機械的に作っていく単調さが気に入っているから続けているだけなのだが、アルバイトの入れ替わりが激しいためにいつの間にか古株になってしまっている。
「ちわっす」
 キッチンへ入ると、同い年のアルバイトである谷口が軽く挨拶をしてきたので、同じように返した。あとは、社員が二人、黙々と作業に勤しんでいる。
 何故かここの店舗では、新人アルバイトの教育は同じアルバイト同士で補うのが暗黙の了解になっている。新人の増える三・四月や長期休暇あたりならば忙しい時期だから仕方がないと思えるのだが、現在は六月で、なおかつ久しぶりの新人である。社員が教育してくれれば良いのに、と心の中でぼやく。
「樫原、こいつが昨日から入った花田だよ」
 紹介された新人の苗字に、悟史は思わず反応していた。花田――七実と同じなのだ。
 谷口の隣に立っているのは、いかにも今時の雰囲気を持った快活そうな少年である。
「花田一葉です。よろしくお願いします」
 はきはきと、聞き手の目をまっすぐに見て話をしてくる。
「樫原です。よろしく……」
 悟史はそっけないほどの挨拶のみ返した。あまり深入りはしたくない。
 苗字は引っかかったが、それほど珍しいものではないからと思い考えるのをやめた。何だか、アルバイト中にまで七実のことを考えるのも癪だ。
 知らず知らずのうちに七実のことを気にしてしまう自分自身に、悟史は少々戸惑っていた。彼女を前にすると落ち着かないし、幾分ましになったとは言え、あの不安そうな瞳はやはり苦手である。七実は猛史の彼女であり、悟史は猛史にむりやりつきあわされているだけなのだ。それなのにどうしてこんなに考えてしまうのだろう。
(やめよう、不毛だ……)
「樫原さん」
 もやもやとしたループに巻き込まれそうになった悟史は、一葉の言葉で我に返った。
 悟史は一葉を見る。一葉は、にっこりと人好きのする笑みを浮かべて言った。
「ちょっとわからないことがあるんですが、教えてもらえますか?」



「花田一葉? あぁ、七実の弟の名前だな」
「……やっぱりそうか」
 考えるのをやめたとは言えやはり気になって仕方ないので、悟史は家に帰ると、猛史に今日の出来事を話してみた。そして返ってきた答えは、先の通りだ。胸のつかえが下りて気楽になったが、それにしても妙な縁である。
「おまえのバイト先になあ……。皆川北高に行ってるらしいから、まぁ電車通学の沿線ではあるけどなあ……」
 猛史は何か納得のいかない様子で、首を捻りながらぶつぶつと唸っている。
 悟史がアルバイトをしている店は、彼らの家の最寄り駅近くにある。皆川北高校は、同じ路線の新快速電車で三駅、快速電車で七駅離れた場所である。七実がどの駅を使っているのか悟史は知らないが、高校からの距離を考えると近くはない。
「偶然じゃないのか? 高校の近くだったら学校に見つかりやすいんだろうし、沿線で考えたら、高校生がバイトできるところなんて限られてくるだろうし」
 皆川北高校はそれなりの進学校で、アルバイトは表面上禁止になっているはずだ。学校近辺だと教員の見回りがあったりして見つかってしまう可能性が高い。悟史もそれを考慮して自宅近くでアルバイトを見つけたから、そのあたりの心情はわかる気がする。
「そうなんだよなあ……。偶然かもしれないんだよなあ……」
 いつもは白黒ハッキリものを言う猛史が煮え切らないので、悟史はつい、「何がそんなに気になってるんだ?」と訊ねた。――面倒が好きでないと言いつつ、ついつい首を突っ込んでしまうのは彼自身がお人好しであるというのも大きな要因なのである。
「うん……。俺の考えではさ」
 猛史は歯切れの悪いまま口を開いた。


「七実が必要以上に他人に怯える原因は……、その弟にあると思ってるんだ」
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