― 関西弁シリーズ ―

モドル | ススム | モクジ

  溶けかけアイス  

 六月末に期末テストが終わると、うちの高校は一気に学園祭一色に染まる。
 学園祭、というのは体育祭と文化祭を一緒にしたもので、七月の半ば、四日間かけて行われる。それまでは授業はすべてカットされ、準備にあてられるのだ。一応、進学校とうたわれる高校であるだけに、毎年真面目な先生方からは午前中だけでも授業をするべきだという意見は出されるらしいが、何とかまだ実行には移されていない。
 四月、委員を決めるジャンケンで負けてしまって『体育祭準備委員』となってしまったわたしは、ハッキリ言って忙しかった。
「綾ちゃん! バックの絵の具買いに行きたいんやけどー」
「あ、それ、会計の由紀ちゃんに言ってー」
「三原さん、一年の体育祭委員の子が来てるで」
「ごめんっ、ちょっと待ってもらっといて! すぐ行くし!」
「綾ちゃん、わたし、高田さんと種目代わってもらうことになったんよ」
「わかった、変更しとくわ!」
 目の回るような忙しさというものを、身をもって体感中なのだった。
 体育祭は、各学年一クラスずつが一つの団となって競うので、他学年のクラスにも顔を出さなければならない。今は、男子の体育祭準備委員である吉村くんが行ってくれているけれど……。
「ごめんなー森くん、待たせて。どしたん?」
 うちの団――六団の一年体育祭準備委員の森くん。一見して爽やかなスポーツ少年といったふうの彼は、サッカー部の期待の星なのだと、同じくサッカー部の吉村くんから聞いていた。委員の仕事をとても熱心にやってくれて、とても助かっている。
「これから、三年のクラスで話し合いがあるそうなんです。吉村先輩、手放せへんみたいで、三原先輩と行ってきてほしいって言われたんで」
「そうなん? ちょっと待ってやー」
 わたしは、そばにいたクラスメイトに三年のクラスへ行くことを告げて教室を出た。
「体育祭委員、忙しくて大変やろ?」
 わたしが言うと、森くんはにこっと笑った。
「大変ですけど、俺こういうの好きやし楽しいっすよ」
 本当に、少女漫画に出て来そうな爽やか少年。笑顔が眩しいなあ。
「種目は何に出るん?」
「学年別リレーと、棒引きっす。先輩は?」
「わたしはムカデ。すごいなぁ、リレーって、よっぽど速いんやね」
 学年別リレーは、各学年男女一人ずつ、六人を選出して行われる、体育祭の華とも呼べる種目。つまり彼は、一年のクラスの男子で一番速いというわけなのだ。
「うちのクラス、陸上部はいても短距離の奴がいなくて……」
 困ったように笑う森くんの態度が新鮮だった。何故ならわたしの近くには、二年連続でリレー選手に選ばれて、偉そうにしている人が一名……。
「お、綾!」
 三階への階段を上ろうとした時、ちょうどその張本人が駆け下りてきた。
「有樹……何なん、そのカッコ」
 うちの男子の制服は学ランだ。けれど有樹が着ているのは、極端に裾の長い学ランだった。額には、有樹の団カラーである赤のハチマキ。
「これ、うちの団の応援衣裳やねん。俺、応援団もやるからなー。リレーの練習もしなあかんし、あー忙しい忙しい」
 わざとらしい言い方に、わたしは笑って言い返す。
「こっちも目が回るくらい忙しいって。体育祭委員の子のこと、労ってあげてやー」
 有樹は、ちらっと森くんに目を向けた。
「……ああ。体育祭委員二人揃って、会議か何かか?」
「うん、何か知らんけど話し合いやって。それと有樹、この子は二年じゃなくて一年の体育祭委員の子やで」
「……ふーん。ま、お疲れさん」
 素っ気なく手を挙げて、教室へ戻っていく有樹。
「……あの人、二団の浅野先輩っすよね」
「え、知ってんの?」
 確かに有樹は、目立ったグループにいる分それなりに有名だが、それは女子生徒の間だけだと思っていたのだ。
「うちのクラスの女子が、めっちゃ騒いでますから。それに、リレーの練習でも見かけたんで」
「あ、そっかー…」
 リレーの練習は、全団合同でやるんだった。人数が少ない分、覚えやすいだろう。
「仲良さそうっすね、浅野先輩と」
「えっ?」
 森くんと目が合う。何だか真剣な表情だったので、わたしはどぎまぎしてしまった。
「そうやね……あ、一年はクラスメイトやったから……」
 たこ焼き友だちだと言うことは、うまく説明できない気がして言わなかった。
「あ、すいません、何か変なこと訊いて……。早く三年のクラス行きましょう」
 急にまた、困ったように笑った森くんは、先に立って階段を上りはじめた。わたしはその後を、黙って歩いた。



「綾!」
 わたしが、教室の窓際で文化祭の展示を作るのを手伝っていると、下の方からわたしを呼ぶ声が聞こえてきた。
「何よー、有樹?」
 声だけでわかる、有樹だと言うことは。
 わたしが窓から下を見やると、体操服姿の有樹がいた。そのまわりには、目立つ有樹の友だちが数人。
「今からリレーの練習するから、見に来ーへんか?」
「わたし、今の文化祭の手伝いしてんねんけど……」
 返事を濁らすと、有樹の友だちたちが、「綾ちゃーん、有樹のこと応援したってー」などと口添えしてきた。全然、わたしとは接点のないひとなのだけれど、有樹と仲が良いと言うことで名前を覚えているらしかった。
「綾ちゃん、行ってきたら? 今、そんなに忙しくないし」
 隣にいた、文化祭準備委員の絵里ちゃんはそう言って、それから一言つけたした。
「彼氏の応援はしてあげなあかんよー」
「えっ、ち、違うって! 彼氏とちゃうよっ」
 わたしは慌てて否定したのだけれど、絵里ちゃんはにこにこして「はいはい、行ってらっしゃーい」とわたしの背中を押して廊下まで連れ出してしまった。
 誤解はあとできっちり解いておかなければと思いつつ、わたしはグラウンドへ下りていった。
「三原先輩!」
 わたしが有樹を見つけるより先に、森くんがわたしに声をかけてきた。
「森くん。これからリレーの練習やねんて? 頑張ってな!」
「練習、見にきはったんですか?」
「うん、有樹に呼ばれて……」
 森くんと話しているうちに、有樹の方がわたしを見つけてやって来た。
「綾! ……あれ、さっきの……」
「森くん、六団のリレー選手やねん」
 森くんを見て訝しげな表情をした有樹に、わたしがつけたす。
「あ、そうなんか」
 あっさりと納得した有樹を、何故か森くんはじっと見ている。
「浅野先輩は、陸上部やないっすよね?」
「今はな。中学の時に短距離やってた」
 有樹の答えを聞くと、森くんは「そうっすか」とだけ言って、すたすたとトラックの方へ歩いていく。
「……何やねん、あいつ?」
 有樹はちょっと眉をひそめて、森くんの歩いていった方向を見ている。わたしは、どうして森くんの態度が、いつもと違ってひどくぶっきらぼうになっているのかわからなかった。
「どしたんやろ……? いつもは、あんな風とちゃうんやけど……」
「……ふーん?」
 ふうっと息を吐いた有樹は、次にぽんっとわたしの頭に手を置いた。
「俺の勇姿、ちゃんと見とけよ、綾」
「えっ、あ、うん……」
 有樹がわたしの身体のどこかに触れてくれるなんて、初めてのことだった。だからわたしは、とても狼狽えてしまった。有樹はそんなわたしを知ってか知らずか、にいっと笑ってトラックの方へ駆けていった。


 リレーは、一年女子、一年男子、二年女子、二年男子、三年女子、三年男子の順に走る。距離は、女子が百メートル、男子が二百メートルだ。
 有樹がトラックの中で屈伸などしながら待機している。わたしはそこから、トラックを挟んだ正面にいた。傍には、他にもギャラリーの生徒たちがぱらぱらと列を成している。
 スタートラインに、一年女子の選手たちが並ぶ。有樹のいる二団、赤いハチマキは内から二番め。うちの六団、青いハチマキはその四つ外側。
 体育教師が、ピストルを持った右手を空へ突き出す。
「位置について! よーい!」
 パンッ、と乾いた音が響くと同時に、リレーはスタートした。一年女子は、あまり差がつくことなく団子になったまま一年男子の待機する反対側のレーンへ入ってゆく。
 赤いハチマキをした一年男子の選手と、青いハチマキをしめた森くんがバトンを渡されたのはほぼ同時だった。
 森くんは速かった。すぐに二団の選手を抜き、そのまま差をつけて一位に躍り出る。
「森くーん! がんばれーっ!」
 ギャラリーから黄色い歓声が飛ぶ。
 わたしの目の前を、森くんが走り抜けてゆく。有樹に目をやると、きつい眼差しで森くんを追っていた。
 森くんは、先頭を維持したまま二年女子の選手にバトンを渡した。赤いハチマキは、三位。
 二年男子の選手たちが、スタートラインに並び出す。一位の団から内側に並んでいくので、最も内側はうちらの六団。二団は三番めだった。
「有樹先輩ー!!」
「がんばってー!!」
 まだ走ってもいないのに、歓声が起こる。有樹はそんなものには見向きもせず、じっと近づいてくる選手を見ている。
 青いハチマキの女の子が、バトンを渡す。続いて黄色のハチマキ。そして赤のハチマキをした女の子から、有樹がバトンを受けとった。

 ゾクリ、とした。

 鳥肌が立ったのか、悪寒を感じたのかわからなかったが、有樹の表情にわたしは戦慄したのだった。
 あんなに真剣な、鋭い瞳をはじめて見た。
 有樹はぐんぐんとスピードを上げて、わたしから遠ざかってゆく。そして、黄色いハチマキの選手を抜いた。
 ちょうど半分の地点を過ぎた時、有樹と一位の選手との差は人一人分も無かった。けれど、それがなかなか縮まらない。
 もうすぐ、バトンタッチのレーンに入ってしまう。
「有樹!」
 思わず、名前を叫んでいた。
 その瞬間。
 有樹は、青いハチマキの選手に追いついて、追い抜かしていた。
 有樹は僅差の一位で、三年女子の選手にバトンを渡した。
 そのままトラックの中に入った有樹は、いつの間にかこちら側に来ていたらしい森くんの傍に近づいてゆき、何か言ったようだった。森くんはいつもどおり、爽やかな笑みを浮かべていた。


「はい。お疲れ、有樹」
「おっ、気ぃ利くなー、綾」
 校舎の陰、冷たい石段に寝転んで疲れを癒していた有樹に、わたしはアイスを渡した。有樹が好きだと言う、ソーダアイス。
 疲れているという割にはぱっと起きあがって、さっそくビニール袋を縦に割いてアイスを取り出して囓っている。
 結局、結果はあの後六団の選手が巻き返して首位を守り、二団は二位だった。けれど有樹は、最終的な順位には興味がないようだった。
 わたしはチョコバーを舐めながら、さっき有樹が森くんと何か話しているようだったことを思い出した。
「なー、有樹。さっき、走り終わった後、森くんと何かしゃべってなかった?」
 ガリガリと勢いよくソーダアイスに齧り付いていた有樹は、ふっと顔を上げた。アイスは既に半分も無い。
「あー……」
 そういえば…というふうな素振りを見せた後、有樹は急にぐっと顔を近づけてきた。
「気になるん? 綾」
 今日の有樹は変だ。何か違う。
 そう感じつつも、わたしはこんなにも間近に有樹の顔が、瞳があることに動揺してしまっていた。
「えっ、えーと……ちょっと、気になって……」
「……なんで?」
 有樹は目を反らしてくれない。どうしよう、どうしようと脳が空回りしている。
「なんで、って……え…うーん……」
 言葉にならない唸りを繰り返していると、不意に有樹の表情が笑み崩れた。
「マジになりすぎや、綾。森? やっけ、あいつには、本番は負けへんでって言うただけや」
「あ……そうなん……」
 まだ、動悸がおさまらない。
 今日の有樹は本当にいつもと違う……。いや、もしかすると、わたしのほうがいつもと違うのかもしれない。
 その時、急にわたしは右の手首を掴まれた。そして声も出ない間に、有樹はわたしの溶けかけたチョコバーをひと舐めしたのだった。
「溶けかけてる。はよ食べてまえよ。俺、着替えてくるからまた後でな! お前のクラス行くから」
「あ、うん……」
 わたしは、しばらく有樹の背中を見送った後、右手に持つチョコバーを見た。中のバニラアイスが溶けて、表面のチョコの上を滑っている。
 ちょっと躊躇ってから、わたしは思い切ってアイスに齧り付いた。
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