― 関西弁シリーズ ―

モドル | ススム | モクジ

  イチゴ味注意報  

   ゴールデンウィーク明けから改装中だったたこやき屋が新装開店し、アイスクリームやらカキ氷やらも扱う何でも屋みたくなっていることを発見したのは、学園祭二日前の昼休みだった。
 手作りのパン屋で昼食用の惣菜パン二つを買っていたが、これを見逃しては男が廃る。いつもどおりの六個入りパックを買うと、開店セールとかで二十円引きしてくれた。
 綾にも知らせてやるため意気揚々と二年六組の教室を訪れたのだが、そこで俺の目に飛び込んできたのは綾と談笑する六団の一年体育祭準備委員、森啓太の姿だった。
 森は、綾のことが好きだという。先日、リレーの練習のときに直接言われたのだから間違いようがない。
 走り終えた俺のもとへゆっくりと歩み寄り、まわりには聞こえないほどの声できっぱりとこう言ったのだ。

「本番も勝たせてもらいます。……三原先輩のことも、負ける気ないですから」

 そのおかげで俺は、今まで敢えて直視してこなかった胸の奥の思いに、真正面から向き合う羽目になってしまった。
 綾とは一年の頃のクラスメイトだ。たこ焼き好きということで意気投合し、二年に進級しクラスが離れた今でもずっと一緒に帰り、たこ焼きを食べている。
 他のどの男子よりも綾と仲が良いという自負は、意識しないまでもあったのだと思う。けれどその仲はあくまでも“友達”としてのもので、それ以上の関係ではなかった。上を望んでしまえば壊れてしまうかもしれないと思い、踏みとどまっていたのだ。
 それなのに、森の宣戦布告である。森の台詞に対して「綾を渡してなるものか」と思う気持ちに気づいてしまったから。もう、認めざるを得ないではないか。
 ふぅとひとつ息を吐き、何気ないふりを装って大きな声をあげた。
「綾ー、えぇもん持ってきたったでー」
 振り向いた綾は、俺が掲げたビニール袋の中身に思い当たったらしくぱっと表情を輝かせた。
「えぇっ、たこ焼き! なんでっ!?」
 森のことなどそっちのけで俺のもとへ駆け寄ってくる綾に取られないように、袋を後ろに隠す。ちらりとうかがうと、森はむすっとした表情でこちらを睨んでいる。知らないふりをしておこう。
「どうどう、落ち着け。買出しにいったら、新装開店してたんや。アイスとかカキ氷とか、なんかいろいろ売ってたわ。たこ焼きも今なら二十円引きやで」
「それは絶対行かな! やったぁ、これでまた毎日たこ焼き食べられるんやねっ」
 頬を上気させ、興奮のあまりうっすら涙さえ浮かべて喜ぶ綾の前に、俺は串にさしたたこ焼きをひとつ出してやる。ぱくりと一口、たこ焼きは綾の口の中へ。
「はひはとー!」
 ありがとうと言ったらしいが、口内に食べ物があるせいで発音が不明瞭だった。
「ま、せいぜい頑張れよ。また放課後な」
 ぽんと軽く綾の肩をたたき、教室をあとにする。森の視線が背中に突き刺さるようだった。


 そういえば、今のようにさりげなく綾に触れるようになったのもあのリレーの練習の日からだなと、一組へと戻るまっすぐの廊下を歩きながら考える。
 森と一緒にいる綾を見ていたから、胸の奥がうずうずとして……。無意識のうちに手が伸びていた。手を引っ込めてからの方が緊張した気がする。
 宣戦布告されるまでもなく、俺はいわゆるヤキモチを焼いていたようだ。
 教室の前にたどり着くと、数日前から見事に取っ払われている窓やドアの向こうから怒鳴り声が飛んできた。
「ちょっと、浅野! どこ行ってたんよ! 昼休みに衣装合わせするって言っといたやろ!?」
 その声の持ち主は、勝見唯かつみゆい。うちのクラスの女子どころか、男子までも仕切る力を持っている。だからなのか、一組は女子が三人しかいないのにも関わらず(理系クラスで物理選択だからだ)女子の力が強いともっぱらの噂だった。
「あー……、忘れてた。悪ぃ」
 体育祭との華とも呼べる“応援合戦”で、俺は二年リーダーを務める。応援団長の次に目立つ、重要な役。衣裳も得点に加算されるので、衣裳係も相当気合が入っているのだ。……うちのクラスは入りすぎのような気もするが。
 買出しに行く前は覚えていたと思うのだけれど、たこ焼きを見つけて綾のところに行かなければと思った瞬間吹っ飛んだらしい。
「もー最悪っ。今から問答無用で拘束っ!」
 せっかくのたこ焼きが冷めてしまう、と思ったが明らかに俺が悪いので言い返せない。しぶしぶ仕立て直された応援団の衣装を着せられていると、横から声がかかった。
「あれ、おまえ“たこ焼き狂い”再発したん? 最近鳴りを潜めてたのに」
 清水仁志しみずひとし。俺の小学校からの幼馴染だ。俺のと色違いの衣装をきっちりと着込んでいるのは、こいつが“応援合戦”二年副リーダーだからだ。
 同性の俺が言うのも何だが、仁志はやたら顔が良い。だから目立ち方も半端じゃない。目を引かせる、という点においては俺よりもリーダーに適任なのだが、仁志はそういう仕事をいつの間にかうまくあしらっているのだ。仁志が蹴った仕事の半分以上は、すぐ傍にいる俺に回ってくることが多い。俺はそういう役割が嫌いではないから引き受けてやる。そして仁志は俺の補佐役に就く、というのが俺たちの関係の常だった。
「おう。贔屓のたこ焼き屋が新装開店してたからな! 我慢してた分、これから一週間三食たこ焼きでいけそうや」
「やめろ、聞いただけで胸焼けするわ。お前につきあえるとは、綾ちゃんもかなりの強者よな……」
 綾のことを気安く「綾ちゃん」などと呼んでいるのを許しているのも仁志だからだ。といっても仁志と綾は話をする間柄にあるわけではない。仁志は綾のことを俺と仲の良い女友達として、綾は仁志のことを俺の友人のひとりとして認識している程度だろう。
「綾ちゃんって、六組の三原さんやろ? やっぱりつきあってるんや?」
 衣裳の丈を合わせていた勝見が会話に割り込んできた。さすが女子は恋愛話に鼻が利く。
 “やっぱり”という言葉で、俺と綾に関する噂が想像以上に広まっていることを知る。これまで俺が避けてきたこともあって、面と向かって訊かれることはなかったのだが……。
 俺はどう答えれば良いかわからなかった。つきあっているわけではないのだからはっきり違うと答えるのが正しいのだろうが、俺は自分自身の気持ちに気づいてしまった。それが引っかかって、さらりと否定の言葉が出てこない。
「残念! 勝見、こいつに恋バナ振るなって! こう見えて純情やからさぁー、恥ずかしがってんねん」
「はぁー? 何それ、似合わへんで浅野ーっ」
 言葉に窮していた俺に代わって、仁志がうまく話題を逸らすように誘導してくれた。勝見は失礼なほど大爆笑している。ほっと息をついた。
 ちらっとこちらに視線を寄越した仁志は、我が意を得たりといったふうに笑んだ。
 俺の心にひとつの確信が生まれる。仁志は俺の気持ちの変化を掴んだのだろう、という。恋愛経験は俺よりも豊富だし、それ以前に昔から感情の機微には聡かった。さりげない気遣いも仁志らしい。
 あとで何か奢らされるだろうなというもうひとつの確信も抱きながら、適わないなと肩をすくめた。


「おばちゃーん、焼きそばパンとソーセージデニッシュ! あ、ついでにこれも」
 衣装合わせから解放されると、俺たちは購買へ行った。もちろん、仁志に奢る羽目になったからである。しっかり高めのパンを選んでいるあたり、ちゃっかりしている。
 俺は一番安いコロッケパンと、グレープフルーツジュースを買う。中途半端な時間だからか購買は空いていて、店内のベンチに腰掛けることができた。
「んで? お前は綾ちゃんのこと、好きやって確信したんか?」
 焼きそばパンの袋を開けながら仁志が問う。俺はきっぱりと頷いた。
「……あぁ。好きや」
「やっとやなぁ! ま、とりあえずめでたいな!」
 バシッと背中を勢いよく叩かれて、一瞬息が詰まった。
「やっとって……」
「やっとや、やっと。有樹、冗談抜きで恋愛ごとにはけっこう疎いんやな……今まで気づかんかったけど。端から見ても綾ちゃんとの親密さは異常やのに、なっかなか進展せぇへんねんからなぁー」
 今まで恋愛経験がないわけではない。中学の頃に二回、付き合ったことがある。けれどその彼女は、彼女になるべくして現れていつのまにか自然消滅していた。
 けれど綾は違うのだ。初めは気の合う友達で、それが恋愛対象に昇格してしまった。今までにない恋愛の形だから、戸惑っているのかもしれない。
「何かきっかけがあったんか?」
 仁志が興味津々に訊いてくるので、俺はかいつまんで先日の出来事を話した。もちろん、森という恋敵の存在も含めて。
「へぇ……そりゃ……何や大事になりそうやなぁー」
 台詞はいかにも心配しているようだが、その表情はにやにやと笑っている。絶対面白がっているに決まっている。
「お前なぁ、他人事やと思って……」
「まぁ大丈夫やって! お前ら今でも充分お似合いやから、ライバルの入る隙もないやろ」
 お似合い……なのかどうかはわからないが、あまりに綾と一緒にいることが当たり前になってしまっているので、今更誰かに取られるなんて想像できないのだ。
「あれー、有樹?」
 その時、ひょっこり購買の入り口に綾の姿が現れた。
「綾!」
 名前を呼んでから気づく。その後ろに森啓太の姿があることに。
「なに、お前らさぼってきたん?」
 真面目な綾に限ってないだろうとわかっているのだが、森の存在のせいでつっけんどんな問いになってしまった。綾は冗談めかして膨れてみせる。
「違うもん、ちゃんと休憩時間やし! のど渇いたからジュース買いに来たの!」
 さらっと流してくれたので救われた。
 どうも森の存在を意識してから、綾とどうやって接していたかわからなくなっている。変に力が入ってしまっているのは自分でもわかるのだが、その抜き方がわからない。
「三原先輩。吉村先輩に頼まれたジュースってこれであってますか?」
「うん、あってるよー。あ、わたしも絵里ちゃんに頼まれてたんやった」
 俺には割り込むことのできない話題。
 明らかに俺のほうが付き合いは長いし、同学年だし、たこ焼きのこともあるしで立場は上のはずなのに、やはり仲良く話すところを見せつけられるとムカムカする。こんなに気持ちの余裕がないことなんて初めてだ。
「有樹、今日の放課後たこ焼き食べに行く?」
 ジュースを買い終えたらしい綾が無邪気に訊ねてくる。いつもの俺なら率先して誘うところだ。けれど今はそんな気分じゃない。
「あー……わからん。放課後になってから決めるわ」
「そう? じゃあ放課後訊きに行くな」
 たこ焼きのことに関して、こんな消極的な返事をしたのも初めてだった。


 放課後はあっという間にやってきた。もうすぐそれを告げるチャイムが鳴る。
 何度めかもわからない、どんどん重くなるため息を吐くと、何かで思い切り頭を叩かれた。パコンッと気持ちよい音がする。
「何うじうじ考えてんねん」
「仁志……」
「まったく……かなりの重症やな。まぁそんだけ、綾ちゃんのこと本気やって証拠なんやろうけど」
 学園祭準備のため、机は教室の端に寄せられている。俺は勝手に誰のものとも知らない椅子を引っ張り出して座っていたのだが、仁志はその傍らにある机に腰かけた。
「えぇか、有樹。お前は何も考えんでも大丈夫や。堂々としとけ。お前と綾ちゃんの関係が今更誰かに壊されるなんて、まずないわ。逆に、有樹のぎくしゃくした態度のせいでこじれるかもしれんで」
 俺は答えずにただ聞いている。
 仁志は嫌というほど知っているはずだ。俺のプライドの高さ、意地っ張り。だから少し俺の様子を窺っただけで先を続けた。
「今更カッコつけようとせんでも、綾ちゃんはこんなお前やからこそ傍にいてくれるんちゃうんか?」
 カッコつける。
 その言葉で合点がいった。
 綾に対する恋愛感情を認めた俺は、知らず知らずのうちにカッコつけようとして自滅していたのだ。
 阿呆らしい、と思った。そうしたら自然と笑みがこぼれた。
「ホンマやな。今更カッコつけても遅いわな」
 にぃっと笑った俺をみて、仁志も同じように笑い返す。
「そうや、時間の無駄や。ほら、早よ綾ちゃん迎えに行って来い」
 しかしそれはしなくても良かった。廊下に面した窓の外には、綾の姿があった。
「綾! たこ焼き食いに行くで!」
 唐突な声かけに一瞬目をまるくしたものの、綾は嬉しそうに頷き返してくれたのだった。


 いつもどおりのたこ焼き、六個入りパック。
 いつもと違うのは、俺と綾の前に一つずつイチゴ味のカキ氷があることだ。
 もともとは俺が奢ってやると言ったのだが、綾はどうしても首を縦に振らず、結局各々で買った。綾はお金のことに関してはけっこう頑固なのだ。
「先にたこ焼きもらうで」
「うん、どうぞー」
 テーブルの真ん中に置いたプラスチックのトレイから、ひとつたこ焼きを口に運ぶ。綾もそれに続いて、嬉しそうにたこ焼きに串を突き刺していた。
 口の中のたこ焼きが消えた頃、カキ氷を一口すくって食べた。イチゴ味とは名ばかりで、ただ甘いだけの味だ。けれど今は、それが心地良かった。甘さの後には、キンとした冷たさが脳に響く。
「おいしー。幸せー」
 向かい合わせに座る綾も、イチゴ味のカキ氷を口に含んで表情をほころばせている。何の警戒心もないその笑みは、俺の気持ちをますます決定づけた。けれど進展を急ぐ気持ちはなかった。一番近くでその笑顔を見ることができるこの位置――しばらくはそれで良い。
 しかし心の有り様は、このイチゴシロップをたっぷりかけられたかのように変わっている。“恋愛”というものが、じわじわと浸透してきていた。
 この赤に溺れてしまおうと腹をくくったら、もやもやしていた今までの感情も笑い飛ばせる気がした。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2003 Aoi Himesaka All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-