フルコトブミ

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[其の二] 夕日影

 今は昔。
 麻羅まらと呼ばれる少年がいた。
 彼は生まれつき、隻眼であった。左の眼球が白濁しており、その機能を持たないのだった。
 しかし、それを補うかのように、右目は“目占まうらの眼”と呼ばれる力を持っていた。物事の真実を見抜くことができる、神に近しい能力である。
 だから、麻羅は嘘がつけなかった。『嘘』という概念自体が、麻羅には理解できないものだったのだ。いつも不思議に思っていた。何故、みんなは本当の気持ちを言わないのだろうと。
 麻羅の父親――麻気まけは鍛冶屋である。
 麻羅は麻気とふたり、村はずれの小さな掘っ建て小屋に住んでいた。母はこの村へ来る前に、流行病で亡くしている。
 麻気も隻眼であった。けれどそれは後天的で、鍛冶屋の職業病とも呼べるものだった。
 隻眼の親子は、村人たちからは珍しがられ、畏怖の視線を向けられ、常に遠巻きにされていたのだった。


                 *     *     *


「麻羅。おまえ、鍛冶を生業とする気はあるか」
 麻羅が齢十二の年に、麻気は突然そう切り出した。
 麻羅は驚いて、とっさには返答できなかった。何故なら、今まで麻気は麻羅が鍛冶を生業とすることに積極的ではなかったからである。
 けれど、麻気の言葉は本気だと、麻羅の眼が確信していた。
「……父上」
 やっと絞り出した声だったが、後が続かない。麻気の厳しい右目がじっと見据えている。
「……あります……、父上、私は鍛冶をやりたいです……!」
 麻気は何も言わないまま、麻羅を仕事場に伴った。鍛冶場は神聖な場所だからと、息子であるにも関わらず、麻羅は今まで一度も足を踏み入れたことがなかったのである。
 珍しげに、鍛冶に使う道具や明々と燃えている火を眺める。けれどそれらは何故か、自分を呼んでいるように見えた。
「剣を鍛えてみろ、麻羅」
「父上……!?」
 麻羅は今日初めて鍛冶場に足を踏み入れ、初めてその道具を目にしたのである。やり方などわかろうはずもない。
 けれど麻気は、本気だった。
「時々、遠目に儂の仕事を見ていただろう。……此処に座ってみろ。おまえにはわかるはずだ」
 麻気は、仕事中に自らが座る椅子を示していた。
 麻羅はしばらく立ちつくしていたが、恐る恐る、麻気の目を窺い見ながらその椅子に腰を下ろす。
 端から見ているだけではわからない世界が、そこにはあった。
 ここに座って、鉄を鍛える父の背中を思い出す。いつか自分もと、疑いもなく思っていた。
 燃え上がる炎。それに照らされ、朱く染まる道具たち。


 麻羅は手を伸ばした。


 無我夢中だった。父のやり方と同じなのかはわからなかった。
 ただ、身体が動くままに仕事をした。
 炎で炙られた鉄はまるで生き物のように蠢いた。台に乗せ、鎚で打ち付けると甲高い金属音が大きく響く。それはまるで、人ならぬ者に何かを伝えるような音だった。
 出来上がった剣を両手で持ち上げる。ずしりと沈む重量に、自分の魂を感じた。
「どうだ」
 言葉を発しない麻羅の横から、麻気が声をかける。
 半分放心状態のような麻羅は、剣をそのまま麻気の方へ差し出した。
「自分では……わかりません。他と比べることができないので……」
 麻気はその剣を手に取った。
 鈍く光る銀色は同じであるのに、麻気はこの剣から普通でない様子を感じていた。
「頼もう」
 仕事場の外で声が響いた。威厳のある低い声で、親子は思わず地に平伏してしまいそうになる。
「ど、どちら様で……?」
 麻気が震える声を押し出して問う。
 ゆったりとした足取りで仕事場の入り口に姿を現したのは、いかにも身分の高い学者然とした壮年の男性であった。
「失礼致す。此処は、鍛人かぬちの麻気の庵に相違ないか」
「い……いかにも。私めが、鍛人の麻気にございます」
 麻気が跪くと、その横に麻羅も倣う。
 仕事場を見渡したその男は、先程麻羅の鍛えた剣に目を止めた。
「おお、その剣はまさしく神の気を纏っておる。そなたが鍛えたのか、鍛人の麻気よ」
「いいえ。我が子、麻羅の手によるものにございます」
 男の視線が、麻羅に移る。頭を垂れているのにも関わらず、その視線は存在感を持って麻羅の後頭部を締めつける。
「ほう。そなたが鍛えたのか、鍛人の麻羅よ」
 麻羅は手足の震えを抑えることができなかった。男の視線を受け、男の言葉をこの身に受けるだけで精一杯だった。受け答えのできる父親を尊敬した。
 何とか深く頷いた麻羅に視線をやったまま、男は名乗った。
「我は、思兼おもいかねと申す者。高天の原三柱神の一、高御産巣日たかみむすひの神の遣いで参った。そなたを探しておったのだ」
 思兼が言うには、高天の原に住み神の剣を鍛えてきた鍛人が世を去り、その後継を探しているところだったという。そして、その神の剣を鍛えるべき能力を備えているのが麻羅だというのである。
「そなたを高天の原の鍛人として迎え入れたいのだが、どうか」
 高天の原は、神の住む地。人間の住む現し国とは遠く隔たっている。麻羅が高天の原へ行くということは、父と生き別れることと同意義であった。
 返事を返せずにいる麻羅の肩を、麻気は優しく、しかし力強くたたいた。
「おまえに与えられた使命を果たすのだ、麻羅」
 それは充分すぎる激励と餞別の言葉だった。
 麻羅はきっと顔をあげ、真っ直ぐに思兼を見据えた。
「未熟者ながら、精一杯務めさせていただきます」


                 *     *     *


 日子根宮ひこねのみやには、高天の原の鍛人が住む。
 “目占の眼”で真実のみを視る、隻眼の少年。
 その地位と引き換えに、父と生き別れることを選んだ人間の子。
 高天の原の鍛人、麻羅は、思兼の神に一つ望んだ。
 それは、自分が元気でいることをうつし国の父に伝えること。




 沈みゆく太陽が炎の色に染まるのは、高天の原の鍛人がつつがなく仕事をしている証拠なのである――。
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